My Human Gets Me Blues

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2007-06-08 [長年日記]

_ [Obit] お悔やみ状

最近知合いが亡くなることが多い。極東ブログのエントリ死者を悼むということを読んで、ふと以下の話を思い出した。山田風太郎の人間臨終図鑑 IIに載っている話だ。

「春の海」で有名な箏曲家の宮城道雄は1956年6月24日の深夜、夜行列車「銀河」から転落して不慮の死を遂げたのだが(悲しき記録)、翌朝宮城家に以下のようなお悔やみ状が届いた。

今朝先生お亡くなり遊ばした報道に接し、驚きの言葉さえ出ませんでした。

昨夜、銀河で御元気に御出発、お見送り申しあげたのにと一同御話申し上げて居ります。

誠に御痛わしい限りであります。

御生前中は私共色々と御厚情賜り感謝して居ります。右不敢取御悔み申し上げます。

六月二十五日

宮城様

東京駅赤帽一同

名文というようなものではないが、簡にして要を得ており、かつ十分気持ちが伝わる良い手紙だと思う。作家の中野重治はこれをみごとな悔やみ状だと嘆賞したと言うが、さもありなん。


2007-06-13 [長年日記]

_ [Fun] jusワークショップ UNIXの過去と未来/UNIX温故知新 (仮題)

行くことにした。鳥取遠い…。というか、ついさっきまで鳥取と島根の区別が付いていなかったのは内緒。まだ参加できるらしいですよ。

_ [Rant] CoFestaのウェブサイトは酷すぎる

そもそもJAPAN国際コンテンツフェスティバルとかいうものが計画されていること自体知っている人は少ないかもしれないが、ウェブサイトができていた。

イベントそのものの性格とか、そもそもこんなものいるのか、という話はさておき(私個人としては、そういうのに興味がある外国の人が日本に遊びに来るにはイベントがある時期にまとまっていたほうがいいから、筋としては悪くない話だと思っていたよ)、なんでよりにもよって全面Flash使いまくりのサイトにするのかね。アクセシビリティとかどうでもいいのかね。というかこれじゃRSSフィードはおろか文字情報を手軽にカット&ペーストすることすらできないよ。しかも英語版のページすらない。最低英、できれば中韓に加えて仏もあれば望ましい(当時の二階経産相の談話)というくらいが相場じゃないの? 「日本のエンタテインメントコンテンツを国内外に幅広く紹介する」という看板が泣くよ。どうせ数十億突っ込むならこういうところにこそ金使うべきでしょう。

重箱の隅つつきと言われるかもしれないけれど、これはやっている側のITリテラシーというかセンスの欠落を晒しているのに他ならないと思うんだ。リテラシーの低い人たちがITの活用だのコンテンツの振興だの、ちゃんちゃらおかしいと思うんだけどな。


2007-06-17 [長年日記]

_ [Music] Solo Piano / Phineas Newborn Jr.

Solo Piano(Phineas Newborn Jr)

どんな人にも「売り物」がある。セールスポイント、商売道具であると同時に、その人の存在そのものと深くつながっていることすらあるだろう。だから、例えば速球が売り物だった野球のピッチャーが怪我で速い球を投げられなくなると、これは二重の意味で深刻な事態だと言える。年俸が下がる、解雇される、食っていけないということもさることながら、自らのアイデンティティ自体が揺らいでしまうことすらあるからだ。

フィニアス・ニューボーン・ジュニアは、その卓抜なテクニックが売り物とされることが多い。アート・テイタムの再来、オスカー・ピーターソンのライバルともてはやされた時期もあった。確かに絶頂期のこの人のテクニックは平均的なハードバップ・ピアニストを圧倒しているし、両手をフルに使った華麗な演奏は他とは別格のスケールの大きさを感じさせる。

私は一時期この人に入れ込んで、彼が遺したほぼ全ての録音を聞いた上でディスコグラフィを作った。その上で私が思うのは、この人の売り物というか本質は、おそらくテクニックとはあまり関係の無い、何か別の部分にあったのではないか、ということだ。単純に指が動くとか動かないという点だけ見れば、絶頂期と比較しても最近の音大出のピアニストのほうが上回っている可能性すらある。しかも70年代以降はアル中や精神病、手の怪我で、往年のテクニックは見る影も無い。ちなみに手の怪我は事故によるものとされることが多いが、本当はバットで殴られて両手指を砕かれたとかいう陰惨な話らしいので、ヤットコで歯を抜かれたチェット・ベイカー同様クスリがらみのごたごたでギャングに商売道具を潰されたというのが真相ではないかと思う。いずれにせよ、テクニックがフィニアスのフィニアスたるゆえんならば、この時点でこの人はおしまいである。

しかし最近私は、彼のキャリアの後半、70年代以降の音源を好んで良く聞くようになった。たとえば75年に録音されたこのアルバムでは、相当調子を戻しているとは言え、冷静かつ客観的に見ればヨレているとしか言いようがない(ピアノも安物っぽい)。しかし、何かしらこちらの心に食い込んでくるものがある。それは単に私が彼のミーハーなファンで点が甘くなっているだけなのかもしれないし、あるいは他の理由があるのかもしれないが、少なくとも、フラック&ハザウェイで有名なWhere is the Loveをここまで濃厚な感情を込めて解釈できるのは、私が知る限りこの人しかいない。晩年のバド・パウエルもそうだが、本当の天才は、表面的なテクニックが失われてようやく本質があらわになるということなのではないかと私は思う。

それはともかく、このアルバムのジャケに書いてある曲名表記はめちゃくちゃです。1曲めはTogether AgainじゃなくてUp Thereだし、7曲めはBouncing With BudじゃなくてOne For Horace(というかWail)だね。もう少しなんとかせいよ。


2007-06-20 [長年日記]

_ [Music] Earth Jones / Elvin Jones

Earth Jones(Elvin Jones)

エルヴィンがドラムスなのはもちろん、ベースにジョージ・ムラーツ、ピアノにケニー・カークランド、そしてフロントはデイヴ・リーブマンに日野皓正という今から思えばちょっとしたオールスター・グループによる1982年の作品。なかなかCDにならなかったのであまり知られていないが、演奏は熱気に満ちているし、雄大なスケールと疾走感に満ちた1曲目Three Card Mollyを筆頭に選曲も良い。エルヴィンのリーダー作では個人的にはこれが一番好きだ。

全員光っているが、やはり日本人としてはヒノテルの活躍ぶりがうれしい。日野さんは今まで何度か生で見たことがあるのだが、タイミングが悪かったのか正直イマイチな演奏が多かった。しかし1970年代から80年代初頭にかけて、それも特に他人のリーダー作に参加したものはとんでもないものがいくつかあって、ここでも尋常ならざる気合を込めてコルネットを吹き抜いている。屈折しまくったリーブマンのソプラノも気持ち悪くて最高だ。大音量で聞くとスカっとします。


2007-06-21 [長年日記]

_ [Music] Spiders on the Keys / James Booker

Spiders on the Keys(James Booker)

ビル・エヴァンスやキース・ジャレットのように弾きたいと思ったことは一度も無いのだが、ジェイムズ・ブッカーのように弾けたらいいなとは良く思う。とにかく引き出しが豊富で、どんな曲でも、いかようにも料理してしまう。それでいて弾いているのがブッカーであることはすぐ分かる。ギターのスヌークス・イーグリンもそうだが、あらゆるスタイルを自家薬籠中のものにしつつ、その上に自分らしさを加味するというのは並大抵の個性ではない。テクニックは折り紙付きなのは言うまでもないが、個人的にはこの人独特の強靭なタッチに強く惹かれる。

このアルバムは、1977年から最晩年の1982年に至るまで根城としていたニューオリンズの「メイプルリーフ・バー」における録音から選曲したもの。音質は今ひとつ(というかピアノがいかにも安物)だが、ヴォーカルを取っていないテイクばかりなので、ピアニストとしてのブッカーの実力が十分に味わえる。「蜜の味」を正調クラシック風に弾いたり、Malaguenaをこってりとスパニッシュ風味に仕上げたり、完全即興と思われるブルーズを延々と弾いてみたり(5分強に編集されているが実際は30分近く続いたらしい)、やりたい放題だ。明るい曲もあるが、全体としては隠花植物的なメランコリーに貫かれているのも魅力。

ジャケの異様な風体からも想像は付くように(ちなみに眼帯しているが別に目が悪かったわけではない)、変わり者というか精神的に不安定な人だったようで、最期も酒とドラッグで若死にしてしまったが、できれば生で見てみたかった人の一人だ。


2007-06-22 [長年日記]

_ [Blog] あわせて読みたくない

試しにあわせて読みたいのブログパーツを置いてみたんだが、勧められるのは自然言語処理関係の人の日記が多い。私の記憶が確かならば(確かじゃなくてもそういう方面の知識無いのでほぼ確実)、NLPにかするような話なんかいっぺんも書いたことないはずなのだが、まだこなれてないんかのう…。

_ [Blog] あわせて読みたくなった

一日経ったら、もう少し妥当な候補が出てくるようになったようだ。


2007-06-26 [長年日記]

_ [Music] Now Hear This / Hal Galper

ナウ・ヒア・ディス(紙ジャケット仕様)(ハル・ギャルパー)

Earth Jones(Elvin Jones)を聞いてなんだかヒノテルづいてしまい、70年代の参加作を聞きまくっているのだが、これも日野皓正が入っていることで価値が大幅に増した快作。ワンホーン・カルテットなので、絶頂期のヒノテルの吹きまくりが存分に堪能できる。おまけにドラムを叩くはトニー・ウィリアムスという豪華な陣容。大昔にCD化されて以来廃盤が続いたが、最近ようやく紙ジャケで再発された。

やはりここでのポイントはトニーのドラミングなのだが、率直に言って1970年以降のトニーは展開が読めるというか、60年代の複雑精緻さ、繊細さが失われて若干クリシェに頼るようになったような気がしないでもない。しかし、ここではむしろそうした大味さが良い方向に作用していて、バタバタと叩き込んでフロントを強烈に鼓舞している。

このアルバムに言及されるときのお約束というか、リーダーなのにピアノのハル・ギャルパーの影が薄いのが少々可哀想なのだが、まあアルバムそのものとしては一世一代の傑作になったのだから以て冥すべし。あ、まだギャルパー死んでないか。

_ [Music] Children of the Night / Hal Galper

Children of the Night(Hal Galper)

ひとつ前のエントリ、痩せても枯れてもリーダーなのにああいう書き方はないか、と反省したのでもう一枚同時期のギャルパーのリーダー作を挙げておこう。こちらはフロントに当時売出中のブレッカー・ブラザーズを据えたクインテットのライヴ。Now Hear Thisも演っている。Children of the Nightはウェイン・ショーターのとは同名異曲。

こちらもドラムスのボブ・モーゼズがキーパースンで、背後から全員を煽り立てて熱気の上昇に大いに貢献している。マイケルがこの時期らしくメカニカルに吹きまくりなのは評価が分かれるところかもしれないが、意外に健闘しているのが兄貴のランディで、へえ、気合いさえ入ればストレートなジャズでもこれくらいのソロが取れたんだ、と見直した。Children of the Nightの出だしで思いっきりトチっているのは、まあしかたがない。

こちらではピアノソロでBlue and Greenを弾いてみたり、俺がリーダーなんだ、Now Hear Thisよりは目立つんだ、という努力の跡は認められるものの、ううむ、やっぱり影が薄いなギャルパー。いいピアノ弾きなんだけど。


2007-06-30 [長年日記]

_ [Music] Visitation / Sam Jones

Visitation(Sam Jones)

これも70年代ヒノテル物件。一応ベースのサム・ジョーンズがリーダーということになっているのだが、元来地味な人だけに自分のリーダー作だからといって前面にしゃしゃり出るということもなく、売出中の若いフロント二人(日野とボブ・バーグ)を手堅くサポートしている。ピアノはロニー・マシューズ、ドラムスにはアル・フォスターというなかなかの陣容。

とはいえ、スティープル・チェイス原盤でベースがリーダーでしかもメンツは実力者と言っても地味な人ばかり、というどう考えても売れそうに無いアルバムなのだが(私はとあるCD屋の在庫整理で新品を500円で買った)、これは本当に掘り出し物だった。ちなみにこのバンドのメイン・レパートリーはトランペッター、トム・ハレルの作品だったようで、これがまた良い曲ばかりなのだ。1曲目などはまさに勢いのあるトランペット向きの曲で、ヒノテルも存分にコルネットを吹きまくっている。ボブ・バーグも吹きまくり野郎なのでちょうどいい塩梅だ。4曲目のボサも軽くて甘くてしかもソロは全員よく歌っていて素晴らしい。ウディ・ショウのSweet Love of Mineもそうだが、御多分に漏れず私もこういう曲調に弱いのです。

それにしても、今から思えばこの時期の日野皓正は間違いなく当代一流の人々と共演していたわけで、ほんとに偉かったのですねえ。