My Human Gets Me Blues

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2006-08-02 [長年日記]

_ [Music] Monk & Lacyを深追いする

先日モンクとレイシーの共演を中心とした怪しい発掘音源の紹介を書いたのだが、どうやらあの音源は世間のモンク好きの好奇心をいたく刺激するもののようで、ブログやmixiを介していろいろな方からツッコミを頂いた。ということで、書いた後で分かったことを補足しておきます。

まず、1957年ニューヨーク録音とされている音源。私は未発表だと思っていたのだが、shaolinさんの指摘によると、これはThelonious Monk and Max Roach (LRC)として既発のものだったようである。というか、考えてみたら、私は昔このCDをお茶の水ユニオンの中古で見かけたことがある(確か油絵でモンクの横顔が描いてあるジャケット)。買っておけばよかったなあ。ちなみに、1948年の音源もVibes Are On / Thelonious Monk Quartet (Chazzer)としてもう日の目を見ていたらしい。

1957年とされる音源に関してはもう一点、原田和典さんに、「あれは1967年のオクテット or ノネットによるヨーロッパ・ツアー(10-11月)の音源じゃないか?」というご指摘を頂いた。びっくりして聞き直してみたのだが、確かにBlue Monkはおかしい。というのも、

  • 言われてみれば確かにトランペットはサド・ジョーンズではなく、クラーク・テリーである(しかもこれはフリューゲルホーンか?)

  • 言われてみれば確かにドラムスはビリー・ヒギンズではなく、ベン・ライリーである

  • そもそも二管ではない。テーマのアンサンブルでラウズとテリー以外に数人吹いているのが聞こえる。で、これまた言われてみればどう考えてもアルトはフィル・ウッズ(これははっきり分かる)、テナーはジョニー・グリフィン(若干分かりにくい)、トランペットはレイ・コープランド(これもはっきり分かる)である

  • そもそも何となくモンクの演奏が1960年代後半ぽい(音質も含めて)

  • モンク以外にはテリーしかソロを取っていないのだが、同じツアーの他の録音を鑑みるに、このツアーではBlue Monkがテリーのフィーチャー・ナンバーだった節がある

ということで、確かに可能性としては1967年のほうが高そうである。もちろん何度か聞いてはいたのだが、原田さんに指摘されるまで全然気づかなかった。少なくともラッパがテリーなのは間違えようがないくらいに明白なのだが…思いこみって怖いですね。

さらに、shaolinさんが指摘するように、Blue Monkと他の2曲はおそらく録音時期も場所も異なるのではないかと思う。Blue Monkはステレオなのに他の二曲はモノラルだし、音質もかなり異なっている。そもそもBlue Monk以外はラウズしか管楽器はいないようだ。ドラマーも、Evidenceのフィリー・ジョー・ライクな派手なおかずの入れ方を聞く限りではフランキー・ダンロップじゃないかな?

後は録音年代の推定だが、レパートリーにLight Blueが加わったのは録音を辿る限りでは1958年の8月、しかしその後ぱったり演奏しなくなり、1963年に入って突然頻繁に演奏するようになる。ダンロップがモンク・クワルテットに入るのが1961年、辞めるのが1963年。ということなので、1963年のいつか、やはりヨーロッパでの録音ではないか、というのが現時点での私の推測だ。なおLRC (Lester Radio Corporation)と言えばソニー・レスターのレーベルだが、Solid StateといいGroove Merchantといい、レスターのレーベルは揃いもそろってどれもディスコグラフィカルなデータがいい加減ですね。

1955年のスティーヴ・アレンの「トゥナイト・ショウ」の音源も、音の悪さを我慢して改めて何度か聞いてみた。

  • ドラムスは確実にブレイキー(これは自信がある)

  • たぶんビバッパー代表ということで集められたメンツで、基本的には全員1940年代から活躍している連中ではないかと思う(司会のアレンの発言から推測)

  • トランペットとベースは皆目見当が付かない。Off Minorみたいな厄介な進行の曲で、この時期にそこそこの長さのそこそこのソロが取れるのだから、ミンガスかペティフォードあたりだろうとは思うけど…トランペットは、アート・ファーマーだと言われれば、まあそうかな、という気はする(確実にケニー・ドーハムではない)

  • テナーのフレージングはあまりモブレーらしくない。アレンがインタビューの途中で「Thank you, Sonny」とか口走っているような気がするんですが、これソニー・ロリンズだったりしないかね(特にWell, You Needn'tのソロ)

  • 不明とされたトロンボーンはものすごくうまい人だと思うのだが、J.J. ジョンソンじゃないかな?

  • というか、これ実はSonny Rollins, Vol. 2(Sonny Rollins)と同じような編成じゃないの? 前からなんであのアルバムではあのメンツが揃ったのだろうと不思議に思っていたのだが、2年前のこれが伏線になっていたとか? (ここまで来るとかなり妄想)

あと、アレンにテンションの概念を説明するモンクの会話がなかなか面白い。

Cool Whalin'(Various Artists)

あと、最後のフランキー・パッションズがらみの音源に関連して、Cool Whalin'はLPでしか出ていないので入手困難だと思っていたのだが、実はCDになっていて今では簡単に手に入るようだ。モンクがらみ以外の音源も、バブス・ゴンザレスを筆頭にケニー・パンチョ・ハグッドやアール・コールマンといったビバップ期の(あまりメジャーではない)ヴォーカリスト総ざらえという感じで面白そうだし、買っちゃおうかなあ。


2006-08-05 [長年日記]

_ [Music] Soul Jazz Records Presents Chicago Soul / V. A.

Chicago Soul(Various Artists)

コンピレーション盤は外れも多いし、すぐ廃盤になるし、店頭だと探しにくいし、そもそも元になった各アーティストのアルバムを集めてしまえば原則不要となるわけで、いろいろな意味で微妙なジャンルなのだが、これなんかは目の付けどころが良いので楽しく聴ける。要は1960年代のチェス・レーベルに残された音源のコンピなのだが、伝統的な正調ブルーズからソウルや現代的なR&Bへの移行期をうまく捉えていて、ジャズやサイケデリック・ロックからの影響も濃厚なごたまぜ感が素晴らしい。

ハウリン・ウルフ(Evilがすげえカッコイイ)やボ・ディドリー、そしてマディ・ウォーターズ(Electric Mud(Muddy Waters)から一曲)といったベテラン勢の意外な健闘も光るが、少なくとも日本ではジャズという文脈では黙殺されることの多いラムゼイ・ルイスやエッタ・ジェイムズも出てくるし、ジャズ・ハーピストのドロシー・アシュビーやソウルフル・ストリングスといった色物も登場と抜かりがない。フィル・アップチャーチやミニー・リパートン(当時ロータリー・コネクションに在籍)あたりまで来ると完全に感覚が新しくなっていてこれがまた良い。エズモンド・エドワーズやリチャード・エヴァンス、チャールズ・ステップニーといった裏方の活躍についても、そこそこ詳しいライナーできちんとカバーされている。全体に、売れ線を意識しつつも何か新しいことをやろうとしている意欲的な姿勢が素直に出ているのが好ましい。これはまさに過渡期ならではの味わいだと思う。

とまあ、いろんなこと言ってますけど、結局は変な親父がボンテージで絶叫しているやばいジャケットが気に入って買ってみただけなんですが。意外な掘り出し物。


2006-08-12 [長年日記]

_ [Gadget] WZR-HP-G54がWBR-G54に?

今日の午後はひどい雨と落雷で、我が家は数度に渡り停電した。すぐ復電したのはいいのだが、後で用があって無線LANアクセスポイントの管理画面を見たら妙な事象が起きていた。

うちのAPはバッファローのWZR-HP-G54 (firmware Ver. 2.41)なのだが、なぜかWBR-G54 (firmware Ver. 2.05)として認識されていたのである。しかも、WBR-G54として認識されているときは、管理者用パスワードやその他の設定項目は全て未設定状態になっている(WZR-HP-G54の設定は引き継がれない)。ようするにパスワードは空だ。最初は他人の家の不用意なAPをうっかりいじったのかと思い焦ったものだが、結局APを再起動したら元に戻った。ちなみに、何度か停電したのでそのたびに調べてみたのだが、停電して最初に復帰すると必ずWBR-G54として認識されるらしい。パスワード等の設定項目は前回WBR-G54として起動したときに設定したものが引き継がれるようだ。一応WBR-G54として動いているときでもAPとしては機能するようである。これまた不思議なのが、電源プラグを引っこ抜くだけでは再現できないということ。

たしかにどちらもファームウェアはGNU/Linuxベースのようだが、どうすればこういうことが起きるんだろうなあ。ようは何が起こるかというと「停電から復旧して気づかないと無線LAN APがパスワード空で全開になっていることがあり得る」ということなので、若干気をつけたほうがいいかも。都内では停電そのものがあまり起こらないので、どうでもいい話と言えばいい話なのだが。

_ [Fun] プログラマの序列

Some Guy Rantingに掲載された図。かなり笑った。

_ [Music] Live at Club Mozambique / Grant Green

Live at Club Mozambique(Grant Green)

ディスコグラフィ上では存在が知られていたが、実際の音としてはいつまで経っても日の目を見ることが無かったグラント・グリーンの未発表ライヴ録音。1971年の録音から35年を経て、ようやく先月ブルーノートから発売された。

なかなか出なかったものには出なかったなりの事情があるわけで、今回のケースではどうやらマスターテープの紛失(というか廃棄)がネックになっていたらしい。結局このCDにはリファレンス・ミックスから起こした音源を収録したようだが、マスタリングが良かったのか、あるいはうちのオーディオが貧弱なせいか、モノラルだということを除けば音質的にはそれほど気にならない(もちろんノイズなども無い)。むしろ、この種の音楽には必須の黒々とした切迫感が前面に出て、なかなか良い音に仕上がっていると思う。

では内容はどうかと言えば、もう何も言うことがありません。朝っぱらからリピートでかけまくっているのだが、良すぎて頭がおかしくなりそうだ。随所にグリーン節炸裂。真っ黒コテコテファンクの極み。デトロイトの「クラブ・モザンビーク」でのライヴ録音と言うと、これまた近年発掘されて度肝を抜かれたロニー・スミスのLive at Club Mozambique(Lonnie Smith)がすぐ思い浮かぶのだが、あれに十分匹敵する迫力である。当時デトロイトに移住して活躍していたグリーンに加え、サックスにヒューストン・パースン(と、あまり有名ではないクラレンス・トーマスとかいう人との二管)、オルガンにロニー・フォスター、そして何と言ってもドラムスにアイドリース・ムハマッドという、この手の音楽を演らせる上ではこれ以上望むべくもないメンツを揃えており、一発モノ系ゴリゴリファンクに当時の流行曲を交えたバランスの良い選曲も良い。この時期はジャズが急速に売れなくなっていたころで、音楽的な内容は良くても売れそうにないからお蔵入りというケースが多かった。おそらくこれもそういう悲運を味わった音源であろう。まあ、当時の人にとってはこういうのは若干食傷気味だったのかも知れませんが、いずれにせよ今となっては暑苦しい今の季節にピッタリの暑苦しい音楽です。熱烈推薦。

どうでも良い話。ライナーでボブ・ベルデンが「1曲目のJan JanはM. Davisという謎の人の曲、マイルズ・デイヴィスではなく詳細不明」とか間抜けなことを書いているが、これは当時デトロイトで活動していたローカルバンド、The Fabulous Countsの1969年のヒット曲だと思う。作曲したのはこのバンドでキーボードを弾いていたモーズ・デイヴィス (Mose Davis)。この曲はLive at the Lighthouse(Grant Green)でも再度取りあげられているのだし、少しは調べりゃいいのにね。


2006-08-13 R.I.P. Duke Jordan (1922-2006) [長年日記]

_ [Music] Barney / Barney Wilen

バルネ(バルネ・ウィラン)

ジャズ・ピアニストのデューク・ジョーダンが亡くなったそうだ(UPIの記事)。84歳。終の棲家はコペンハーゲンでしたか。

この人も典型的な伴奏者向きのプレイヤーで、別にリーダー作に良いものがないというわけではないのだが、それでも他人のワキに控えているときのほうが光っていたような気がする。世間的には、やはり絶頂期のパーカー・クインテットで(マイルズにいびられつつも)ピアニストを務めたという経歴がキャリアの頂点と見なされるのだろうが、個人的には、ジョーダンの生涯におけるベスト・プレイはこのバルネ・ウィランのアルバム、とりわけLady Birdにおけるソロだと思う。とりわけ中盤、ブロックコードを使い始めてからの、アイデアが泉のように湧き出てもう手が付けられないという感じがたまらないのです。イントロ作りの名人の名に恥じない素晴らしいイントロも忘れがたい。

_ [Music] Star Eyes / Chet Baker

スター・アイズ(チェット・ベイカー/デューク・ジョーダン/イェスパー・ルンゴー)

一つ前のエントリを書いていて思い出したが、これもまたジョーダンが参加したことで全体がぴりっと引き締まった好例だと思う。トランペットにピアノとベースというドラム抜きの変則トリオ編成、しかも一曲が平気で10分以上という長尺ばかりなので、三人の演奏者がよほどしっかりしていないと間の抜けた感じに聞こえてしまうのだが、押さえるべきところを押さえているのはジョーダンの案外ごついピアノだ。トランペットも吹ける歌手、という程度に軽く見られがちなチェットの、トランペッターとしての圧倒的な凄みが存分に味わえるアルバムでもある。

_ [Music] Two Loves / Duke Jordan

トゥー・ラヴズ(デューク・ジョーダン/マッズ・ヴィンディング/エド・シグペン)

まあ、一枚くらいはリーダー作も挙げないとなんか申し訳ないような気がしたので、これを。特にタイトル曲のTwo Lovesが良い。ソロなのだが、なんとも言えず良い曲です。作曲家としても(しては?)一流でしたね。

どういうわけか、最近のAmazon.co.jpではSteepleChaseのCDの大半が、新品で注文できなくなっているようだ。しょうがないので紙ジャケで出た限定盤のページにリンクしたが、現在では中古扱いで約18000円とかいうべらぼうな値段が付いている。本家Amazon.comならばはるかに安く手に入るので、焦って変な業者から買うことはない。そもそも、あのレーベルは私が知る限りではどんなCDも絶対に廃盤にしないので、慌てる必要はないです。在庫がないと注文から届くまで時間はかかるけど。


2006-08-14 [長年日記]

_ [Reading] 革命的半ズボン主義宣言 / 橋本治

革命的半ズボン主義宣言 (河出文庫)(橋本 治)

作家の吉川潮が産経イザ!に『いい大人が半ズボンとは』とかいう記事を書いている。「半ズボン野郎の顔をしみじみと見ると、どいつもこいつも仕事ができそうにない感じがしてならない」というあたりが最高だ。仕事と半ズボンは全然関係無いじゃねえか。いい大人がこんな記事を書くほうがよほど恥ずかしい。一応公正を期すために言うと、吉川の江戸っ子だってねえ―浪曲師広沢虎造一代 (新潮文庫)(吉川 潮)は良い仕事だった。半ズボンもはいてないのにこれが書ければ立派なものだ。

私は夏は大体どこに行くにも半ズボンだ。理由は簡単で、暑いからだ。もっと厳密に言えば、クソ暑いからだ。クソ暑いにも関わらず長ズボンをはくことのどこに合理性があるのか私にはさっぱり分からない。日本(というか東京)が暑いこと自体は当面いかんともしがたいが、自分が暑いのは薄着をすれば改善できる。改善しないのは単なる怠慢である。冷房だって金がかかる。下手すりゃ国民の税金の無駄遣いだ。あるいは環境破壊の遠因だ。

だいたい、半ズボンだってちゃんと着こなせばかっこいいのだ。最近の半ズボンはユニクロの安物だって相当にかっこいい。毛ずねが見苦しければ剃ればよいではないか。腹が出ているなら痩せればいいではないか。ようは、半ズボンをはいてかっこよく見える、借り物ではない日本独自の様式を、自分の頭で考えて自主的に確立すればよいのである。気候が全然違うオランダから輸入した洋服を、こんな亜熱帯じみたところで何も考えずに着るから話がややこしくなるだけの話。そもそも、見苦しいのはそいつ自身の問題であって半ズボンのせいではない。ゆえに私個人が見苦しいのは私の問題であって大変申し訳ありませんでした。あと、もちろん半ズボンがはきたくない奴は黙ってはかなければ良いのである。そういうことを自分で判断できるのが、主体性ある大人ってやつじゃないんですかね?

というような議論は、1984年に出たこの本ですでにこってりと展開されている。一冊使って「男が半ズボンを履くことの正当性」を完膚無きまでに論証し、返す刀で実は半ズボンとは直接関係ない、「近代日本的なるもの」の問題点まで論証してしまった橋本治はすごい。正当性というものは前例や上位者からの指令や周囲からの同調圧力によってではなく、論理によってのみ獲得されるのだ、ということを、身をもって証明した本。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ とおりすがり [全く同感。吉川潮のコラムは馬鹿で見苦しい。 ズボンの長さなんて結局はどうでも良いことであって、そのどうでも良いことに..]

_ 書いてる私がガキかな? [全くです。馬鹿馬鹿しいを通り越して哀れ。 人と違った主観をお持ちなのは結構。しかし、こうも主観がガキっぽいのでは品性..]

_ 半ズボンは携帯冷房 [確かにそんな曲がった 偏見の塊の作家だか何だかわからんような頭の固まりきった、馬鹿な大人の代表格が書いた「大人半ズボ..]


2006-08-15 [長年日記]

_ [Gadget] Key ring "beta,k"

かなり前、アシストオンで衝動買いしたもの。結構高かったのだが、「半永久的に使える」と言う触れ込みに負けた。我ながらかなり頭が弱い。

これはいわゆるメタルポイントで、現在の鉛筆の遠い祖先に当たる。私は腰リールにつけて使っているが、鉛筆と違い、筆先があまり滑らずひっかかりがちなので、かなり筆圧をかけないとまともに字が書けない。よって、手にメモ帳なり単語帳なりを持って立ったままさらさらと筆記する、というようなLife Hack風の用途にはちょっと苦しい。ただ、座って飯を食っている時などに突然何か思いついた場合、名刺の裏やコースターのようなあり合わせの紙にちょいちょいと走り書きをする、という程度には十分使える。まあ、あと、見栄えがいいですよね(結局それだけかよ)。


2006-08-20 [長年日記]

_ [Reading] Web2.0 キーワードブック / SE編集部編

Web2.0 キーワードブック(SE編集部)

そういえば紹介するのを忘れていたが、先日(というかもうずいぶん前だけど)こんな本が出ました。私も一節だけ(「オープンソース」)担当しています。我ながら当たり障りの無いことだけしか書いてないけれど、よかったらこうてや。

本全体としては、ハアとかホウとかヘエとか思わずハ行の感嘆詞を漏らすようなナイスなものから、何わけのわかんねえこと書いてやがんだこのバカはというようなものまで盛りだくさんで、さらにおまけとしてMatzさんのスーツコスプレまで拝めるという幕の内弁当感が横溢しております。それはそれとしても、水沢朗のやたら短い(トビラ?)節をイントロに、ばるぼら→ヒロヤマガタ山形浩生→おれ→切込隊長と続く「個人2.0」という最終章は、なんと申しましょうか、構成というか流れだけでたまらなくおかしい。全員が若干場違い。