モーレツ! Org mode 教室 その2: まとまった文章を書く


もくじ

前回も書いたように、Org modeは機能が増えすぎて今やなんだか訳のわからないものになっているが、本業はあくまでアウトライン・プロセッサ(英語圏ではアウトライナーと言うらしい)であって、アウトラインで構造化された文章を書くための道具として開発されたのである。

アウトラインとは、大ざっぱに言ってしまえば見出しのことで、大見出しで大まかな話、中見出しで少し細かい話、小見出しで詳細…という具合に、見出しの階層と内容の細かさを対応させて整理された文章を書く、というのがアウトライン・ライティングの狙いであった。Org modeには、このための支援機能が大量に備わっている。

追加の設定

Org modeは、.orgというという拡張子のついたファイルを開くと自動的に有効になる。まあ、M-x org-modeを実行すればどのバッファでも有効になるので、どうでもいいとも言えるが。

好みによるのかもしれないが、Org modeで長い文章を書く場合、~/.emacs.d/init.el

(setq org-startup-truncated nil)

を入れたほうがよいのではないかと思う。これは行の折返し(line wrapping)の設定で、Org modeはデフォルトでは行を折り返さないのである。手で適当に改行して一行を短くするか、適宜M-qで段落を詰め込めばよいのだろうが、私の場合だらだら改行を入れずに書いていくことが多く、カーソルがどんどん右に移動して文章の最初のほうが見えなくなると不便なので、ウィンドウの幅で折り返してくれたほうがありがたい。ただ、表の編集で問題が出る可能性はある。

アウトラインの操作

さて、前回書いたメモを保存したnotes.orgファイルを(Emacs以外のエディタで)覗いてみれば分かるが、.orgファイルというのは実のところ単なるテキストファイルで、*が見出しの印になっている。*の数が増えれば増えるほど階層が下になる。

* 大見出し

かくかくしかじか

** 中見出し1

あれやこれや

*** 小見出し1

うんぬんかんぬん

** 中見出し2

foo

*** 小見出し2

bar

上の例の場合、大見出しの下に中見出し、中見出しの下に小見出しがあり、各見出しの下に本文がある。階層に制限はなく、いくらでも*を増やすことができる。そして、*のある行でTABを押すと、その見出しよりも下の階層が折り畳まれて見えなくなる。折り畳まれていることは見出し末尾の...の有無でわかる。上位の見出し上でTABを何度か押すと折り畳み具合が変わる。言葉で書くとややこしいが、やってみればすぐ分かるだろう。

まっさらな状態でM-RET(RETはReturn/Enterキー)を打つと、*が挿入される。その時点で最上位の階層の見出しが入力できるようになるわけだ(もちろん、*の下であれば**が挿入される)。すでにある行を見出しにする(ようするに行頭に*を挿入)には、C-c *である。これはトグルになっているので、もう一度押すと元に戻る。別に、手でアスタリスクを書いたり消したりしてもいいのだが…。

行頭に一つでも*があれば、M-矢印キーで階層を動かすことができる。M-右矢印で階層が下に(*が一つ増える、例えば大見出しが中見出しになる)、M-左矢印で階層が上に(*が一つ減る)ということになる。また、SHIFTキーも押してM-S-矢印にすると、その見出し以下の階層すべてが動く。これも言葉で書くとピンとこないかもしれないが、やってみればすぐ分かる。

もう一つ重要なのが、サブツリー(見出しツリー)単位でのカット&ペーストだ。サブツリーというのは、ようするにある見出しからその下の階層すべて、ということだが、カットがC-c C-x C-w、ペーストがC-c C-x C-yである。上の例だと、中見出し1の上でC-c C-x C-wを叩くと、中見出し1と小見出し1がセットで切り取られる。これにより、見出しの組み換えや、後で出てくるメモの切り貼りが簡単にできるようになる。三連続の打鍵てなんだよ、覚えられねえよという向きもあるだろうが、多用するのですぐ覚えるだろう。

あとは、C-c C-nnextなので前進)とC-c C-p(previousなので後退)で見出しから見出しへジャンプできることを覚えておくとよい。

他にも様々なキーバインドがあって、それはThe Org Manual: Structure editingを読めば分かるが、当面必要なのはこれくらいだと思う。

Org-refileの設定

前回説明したOrg-captureによるメモ取りをアウトライン・プロセッシングと組み合わせるには、Org-refileの設定をしておくと便利である。refileというのは、あるファイルの一部を、見出しツリー単位で他のファイルの見出しの下にリファイル(移動)するという機能で、これを使えばnotes.orgに記録したメモを簡単に他のファイルへ移すことができる。

最低限必要な~/.emacs.d/init.elの設定は

(setq org-agenda-files '("~/ownCloud/Org"))
(setq org-refile-targets '((org-agenda-files :maxlevel . 3)))

である。org-agenda-filesという変数名に変な感じがするかもしれないが、これは、後で説明するOrg-agendaという機能と共用しようと思っているからで、ようするにOrgディレクトリの中のファイルすべてを対象にする、ということだ。重要なのはその次のorg-refile-targetsで、Orgディレクトリ以下の.orgファイルに関し、maxlevelが3階層目、すなわち***の見出しまでを移動先として選べるようにするという指定である。

このように設定し、Orgディレクトリに.orgファイルを入れておけば、見出しの上でC-wを押すと、Refile subtree "指定した見出し" to (default 他のファイルの見出し(other.org)):みたいなメッセージがミニバッファに出ると思う。ここで他のファイルの中の見出しを指定してやれば、そこの下へ今C-wを叩いたサブツリーが一発で移動するのである。このように、Org-refileをうまく使うとファイル間で見出し項目の移動が素早くできるようになる。

ちなみに、すでにいじらないことがほぼ確定している.orgファイルがあると移動先として見えてしまってうざったいので、そういう場合はOrgディレクトリから消すか他へ移動するか、あるいはC-c $でアーカイヴ化するとよい。アーカイヴ化というと大層に聞こえるが、基本的には拡張子を.orgから.org_archiveに変えているだけである。

また、私自身は使っていないが、別に.orgファイルをOrgディレクトリ以下に置かなくても、org-refile-targets周りに少し手を加えて

; cf. https://www.emacswiki.org/emacs/OrgMode#toc21
(defun mhatta/org-buffer-files ()
  "Return list of opened Org mode buffer files"
  (mapcar (function buffer-file-name)
      (org-buffer-list 'files)))
(setq org-refile-targets
      (quote ((nil :maxlevel . 3)
          (mhatta/org-buffer-files :maxlevel . 1)
          (org-agenda-files :maxlevel . 3))))

などとすれば、現在バッファで開いている.orgファイルであれば、Orgディレクトリ下になくともリファイル先に指定できるようになる。

Org-refileについて更に細かく知りたい人は、The Org Manual: Refile and copyを読むと良いだろう。

具体的なワークフロー

以上のような設定をしておくと、次のようなワークフローで文章を書くことができるようになる。日本語のアウトライン・プロセッシングの解説書は、読んで見るとなんだかやたらややこしいというか、そういう機能があることは分かったが具体的にどう使ったらいいか分からないというか、しまいには人生訓みたいな話になって困惑することもあるのだが、これは比較的実用的だと思う。

  1. 原稿の.orgファイルをOrgディレクトリ以下に用意する。そうすればOrg-refileの対象になる。

  2. とりあえずM-RETを打って見出しを一つ用意し、文章のタイトルでも書く。* 文章のタイトルといった具合。一応文章全体が一つの見出しの下にあったほうが管理がしやすいと思う。実質的な見出しは**からということですね。

  3. 見出しのことなどはあまり考えず、とにかく思いつくことを、一行ずつ空けて単語や文章でがーっと列挙する。だらだらやっても限界があるので、5分とか時間を切ってやるとよい。

  4. あとは、C-c *等を使ってこれはというものを見出しにし、階層を変えたり順序を組み替えたりして、仮の目次というかアウトラインをでっちあげる。最初のアウトラインにこだわってもしょうがないというか、どうせ書いている最中に大きく変わるに決まっているので、あまり時間をかけるべきではない。3のアイデア出しも含めて、1ポモドーロ(25分)を超えると長すぎると思いますね。ちなみにこのブログ記事のアウトラインは、元は
    * アウトライン・プロセッサとしてのOrg mode
    
    ** キーバインド
    
    ** メモとの連携
    
    ** Org refile
    
    ** まとめ
    
    * 未整理
    

    みたいな感じだった。

    ポイントは、「未整理」という項目を用意することである。別に名前は「未整理」でなく、「メモ」でも「雑」でもなんでもよいのだが、本来の目次とは無関係な、一時バッファ的なものを末尾に置くわけです。notes.orgに保存したメモよりも上の階層の見出し(上の例では**ではなく*)が良い。

  5. あとは、書けるところから書く。途中で何か思いついたら、前回紹介したOrg-captureでメモをとる。文章を書いていると全然関係ないことを思いつくというか、むしろとりあえず書き始めないと何も思いつかないというところがあるので、とにかく書いてどんどんnotes.orgに保存していく。

  6. 行き詰まったらC-M-^でメモを呼び出して眺める。これは、というものがあったらOrg-refileで原稿の.orgファイルの「未整理」以下にリファイルする。

  7. 見出し「未整理」の内容を検討し、本文に移したり、見出しを組み替えたり、あるいは無関係なので未整理から追い出してnotes.orgに戻したり、といった検討作業を行う。トップダウンででっちあげたアウトラインを、ボトムアップで集めたメモで補ったり変更したりして煮詰めていくわけだ。

  8. ある程度アウトラインが定まったら、本格的に書いて、まとめて、仕上げて終わり。もちろんこの段階で構成を組み替えたって一向に構わない。

こんな具合でOrg modeを、アウトライン・プロセッサとして活用してやれば、Org modeも以て瞑すべし、ということになるんじゃないでしょうかねえ。

 

モーレツ! Org mode 教室 その1: 素早くメモを取る


もくじ

Org modeとは

わたくしは元々EmacsVimも、Visual Studio Codeすらも使う(GNU/Linux上でも案外ちゃんと動くので)いい加減な人間なのだが、最近ではEmacsを使う頻度が上がっている。というか、最近はEmacsしか使っていない。それは主にOrg modeのせいである。

Org modeというのは、もともとアウトラインプロセッサを提供するEmacsの拡張機能のようなものとして開発されたらしいのだが、その後建て増しに建て増しを重ねた違法建築みたいなことになっていて、本業のアウトラインプロセッシングはもとより、メモ取りも日記もTODO管理もスケジュール管理も進捗管理も時間管理もプレゼンスライド作りも表計算も図の作成も貼ったコードの実行もできるようになり、さらにOrg modeを拡張する拡張機能というのも大量に開発されているので、途方もない代物になっている。今やEmacsはテキストエディタではなく、Org modeのフロントエンドと考えたほうが良いのではないか。

とはいえ、何でもできるというのは、何をやらせたらよいのかわからないというのと同義であって、私自身も10年くらい前に一度試して挫折したのだが、とっかかりとしてOrg modeを用いたメモ取りから始めるとスムーズに使い始められるように思う。最近Org modeについて人に説明する機会があったので、とりあえずメモ取りのやり方から書いてみよう。

Emacsのインストール

その前に、Emacsのインストール方法を手短に。

GNU/Linuxの場合、大概のディストリビューションにはEmacsが入っていると思うので、それをインストールすればよい。

Windowsの場合、公式ビルドは最新のEmacs 26.1でも普通にIME経由で日本語入力できないので(最低限のパッチをupstreamへ入れてもらったので次のリリースで直る予定)、いわゆる日本語IMEパッチを当てたビルドを探して入れるとよい。私が用意しているものもある。

Macについては良く知らないが、HomebrewやMacPortsからインストールできるようだし、Emacs For Mac OS Xというのもあるようだ。

Androidの場合、端末エミュレータのTermuxを入れてその上でEmacsをインストールするのが一番簡単だと思う。以前書いたAndroid上でEmacsをまともに使うにはを参照してやってください。

すでにEmacsがインストールされている場合、バージョンがやたら古い場合があるので、最低でもEmacs 25以上が入っていることを確認すると良い。EmacsのバージョンはM-x versionで調べられる。なおM-xというのはMetaキーを押しながらxを押す(と「ミニバッファ」という下のバッファにカーソルが移ってコマンドが入力できるようになる)ということで、GNU/LinuxやWindowsではMetaキーはふつうAltキーだが、MacではOptionキーなんですかね?ちなみに、C-xというのはCtrlキーを押しながらxを押すという意味である。

GNU/Linuxの場合は気にしなくて良いが、Windowsの場合、ホームディレクトリをWindowsの環境変数HOMEで指定しておくと何かと便利である。C-x C-fを押してミニバッファに~/と書き、タブキーを2回押す(文章で書くとなんだかやたら複雑なことをやっているようだが、ホームディレクトリ(~/)にあるファイルを開くべくファイラのDiredを実行しているだけ)と、現時点でのホームディレクトリがどこか見当がつくので、そこが気に食わない場合は自分でHOMEに指定するとよい。ここの下に設定ファイル(~/.emacs.d/init.el)を置くことになる。Windowsのユーザディレクトリに合わせるのが無難なので、おすすめはC:\Users\ユーザ名とかでしょうか。

Emacsの本当に最低限の設定

Emacsの設定は、凝り始めると際限なく出来て泥沼にはまるので、この段階では極力最低限に留めたい。そういう意味では、日本語をUTF-8で使うための最低限の設定として、~/.emacs.d/init.el(あなたがたのような老害は~/.emacsとか~/.emacs.elに設定を書いていると思うが、最近のナウいヤングはこちららしい)に

;; 日本語環境の設定

(set-language-environment "Japanese")
(prefer-coding-system 'utf-8)
(set-default 'buffer-file-coding-system 'utf-8)

あたりを入れておけばよろしいのではないでしょうか。なお;はEmacs Lispにおけるコメント行の指定である。

もう一つ頭が痛いのがフォントの設定で、正直未だによく分からないのだが、とりあえず英数字はConsolasフォントが気に入っているので、Windowsでは

;; Windowsにおけるフォントの設定(Consolasとメイリオ)
(when (eq system-type 'windows-nt)
  (set-face-attribute 'default nil :family "Consolas" :height 110)
  (set-fontset-font 'nil 'japanese-jisx0208
                    (font-spec :family "メイリオ"))
  (add-to-list 'face-font-rescale-alist
               '(".*メイリオ.*" . 1.1))
  )

GNU/Linuxでは

;; GNU/Linuxにおけるフォントの設定(IncosolataとIPA exGothic)
(set-frame-font "Inconsolata-14")
(set-fontset-font t 'japanese-jisx0208 (font-spec :family "IPAExGothic"))

にしている。WindowsのConsolasとメイリオは標準でインストールされているが、GNU/LinuxではConsolasのぱちもんのInconsolataIPA exフォントを自分でインストールする必要がある。たぶん今では大概のディストロでパッケージ化されていると思うが…。ちなみにDebian/Ubuntuならfonts-inconsolatafonts-ipaexfontをインストールすればよい。

なお、Androidは何も指定せずTermuxのデフォルト任せである。Macは想像もつきません。

Org modeのアップデート

Org modeは今やEmacsに標準添付なので、Emacsを入れれば自動的に付いてくるのだが、バージョンがやや古く、Org modeへの拡張機能が動かなかったりすることもある(例えばOrg-journalはOrg 9じゃないと動かないみたい)。なので、手でアップデートしておくと良い。現在の最新は9.1.13で、まあ9.xならだいたい大丈夫じゃないでしょうか。

最近のEmacsはpackage-elという拡張パッケージ管理機能を標準で持っているので、M-x list-packagesから一覧形式でorgを探してその上でI、次いでxを押してインストールするか、M-x package-install orgで直接インストールすると良い(最新安定版のorgは標準のgnuレポジトリにあるので、とりあえずこの時点ではMELPA等を自分で指定しなくても大丈夫なはず)。

ちなみに、最近だとEmacsのelispパッケージ管理は、私も含めてたぶんCask(とPallet)を使っている人が多いと思うのだが、Pythonを入れなければならなかったり、説明がめんどくさいので、興味がある人は自分で調べてください。package-elはGNU/LinuxだろうがWindowsだろうがMacだろうがAndroidだろうが動作するはずで、このマルチプラットフォーム性も今どきのEmacsのメリットの一つである。package-elで入れたパッケージを、後からCaskの管理下に移すこともできる。

Org modeの本当に最低限の設定

Org modeの設定もまた泥沼になりがちで、とにかく極力最低限にしたい。どうしても指定しなければならないのはOrgファイルのありかで、

;; Org modeの設定

; ファイルの場所
(setq org-directory "~/ownCloud/Org")
;(setq org-directory "~/Dropbox/Org")
(setq org-default-notes-file "notes.org")

とか指定する。DropboxやownCloudのようなクラウドストレージにOrgディレクトリを作って指定するのがおすすめで、これにより複数環境で簡単にメモを同期できるようになる。Android上のTermuxの場合、Androidのバージョンや外部SDカードの有無、Dropbox等アプリのバージョンによってファイルが置かれる場所が違うらしく一概には言えないようだが、オフラインでもアクセスできるよう設定すればどこかにはあると思うので、そのパスを指定してやればよい。私の以前の記事のようにtermux-setup-storageを実行していれば、~/storage/shared/Android/data/com.dropbox.android/files/なんとか/かんとか/Orgとかでアクセスできるのではないかと思う(ただ、リアルタイムで同期されず不便なので、私自身は使っていない。何かうまい手はないかねえ)。

メモを取る

いよいよ本題である。わたくしは頭が弱いので、何かを思いつくとすぐ忘れてしまう。なので、思いついたらとにかくすぐに書き留めなければならない。そこで手元に紙とペン(というか鉛筆)が欠かせなかったのだが、Org modeのおかげで、とりあえずコンピュータの前にいるときだけは、ようやく紙のメモとおさらばできたのである。

で、そのOrg modeのメモ取り機能がOrg-captureだ。先述の通り、現在のOrg modeには意味不明なくらいに様々な機能が盛り込まれているのだが、別に機能があるからといって使わなくてもいいので、私などは多分Org modeの使用時間の80%くらいはOrg-captureだと思う。

Org-captureの設定だが、とりあえずは

; Org-captureの設定

; Org-captureを呼び出すキーシーケンス
(define-key global-map "\C-cc" 'org-capture)
; Org-captureのテンプレート(メニュー)の設定
(setq org-capture-templates
      '(("n" "Note" entry (file+headline "~/ownCloud/Org/notes.org" "Notes")
         "* %?\nEntered on %U\n %i\n %a")
        ))

とかでよろしいのではないかと思う。最初はOrg-captureを呼び出すキーシーケンスの設定で、ようするにC-c c(Ctrlを押しながらc、その後Ctrlを押さずにc)である。C-cプラスなんとかはユーザが設定できるよう予約されているので、好みでc以外に変えても良いが、まあこれが一番素早く打てるシーケンスじゃないでしょうか。

で、このように設定すると、とにかくEmacsの中にいれば、C-c cを押すといつでもメニューが出てくる。ここで、nを押してやると~/Dropbox/Org/notes.orgにメモが書け、C-c C-cを押すと保存されて元のバッファに戻る(保存せずに捨てたければC-c C-k)という寸法になっている。nというキーやメモを保存するファイル名がどこで指定されているかは見ればだいたい見当がつくと思うが、file+headlineだの%?だのに関しては後回しにしましょう。

メモを見る

書いたメモはさっとすぐに見たいのである。

; メモをC-M-^一発で見るための設定
; https://qiita.com/takaxp/items/0b717ad1d0488b74429d から拝借
(defun show-org-buffer (file)
  "Show an org-file FILE on the current buffer."
  (interactive)
  (if (get-buffer file)
      (let ((buffer (get-buffer file)))
        (switch-to-buffer buffer)
        (message "%s" file))
    (find-file (concat "~/ownCloud/Org/" file))))
(global-set-key (kbd "C-M-^") '(lambda () (interactive)
                                 (show-org-buffer "notes.org")))

とか~/.emacs.d/init.elに書いておくと、Ctrl-Meta-^を同時に押せばすぐに~/ownCloud/Org/notes.orgを開くようにできる。* Notes...のように...が付いている見出しは、その行でTABキーを押すと開閉されてその下の内容が見えたり見えなくなったりするようになる。見終わったらC-x 左矢印で元いたバッファに戻れるはず。

notes.orgの中を覗いて見ればだいたい分かると思うが、Orgが管理するファイル(拡張子が.org)は実体はテキストファイルで、*の数で階層付けがされている。先ほどの(file+headline "ファイル名" "Notes")というのは、ファイルの中の* Notesという項目のひとつ階層下に** メモのタイトルという感じで追記しろ、という指定であった。これも実は好きに変えられるので、もっと知りたい人はThe Org Manual: Template elementsを見るとよい。

%?だの%UだのはThe Org Manual: Template expansionに詳しい説明があるが、ようするに\nは改行、%?はOrg-captureのバッファを開いたときのカーソルの位置、%Uはタイムスタンプ、%iC-c cを叩いたときに選択されていたリージョンの内容、%aC-c cを叩いたときに開いていたファイルへのリンク(本当はorg-store-linkで保存されたリンクだが)で、リンクの上でC-c C-oを押すとリンク先のファイルを開くことができる。まあ%iとか%aはオプション的なので指定しなくても良いし、全て自由に変えて構わない。例えば、メモなのでタイムスタンプだけでいちいちタイトルをつけなくて良い、という場合は、%?の位置を変えて* %U\n%?とかにしてやればよいのである。

まとめ

というわけで、以上のようにあれやこれやと設定すると、

  1. とにかく何か思いついたらC-c cn→何か書く→C-c C-cで保存
  2. C-M-^でメモを見る

でいつでもメモを取ったり見たりできるようになる。C-c c nは手に馴染むので、そのうち何も考えずにメモが取れるようになるだろう。これだけでもOrg modeが使えてよかったという気になりませんか。ならないか。ひとまずおわり。

 

NAGAE+ collinetteはモバイル踏み竹として最適

NAGAE+ ナガエプリュス リラクセーションツール collinette コリネット

オッサンなので自宅にいるときは毎日青竹踏みを欠かさないのですが、さすがに旅行にまで青竹を持っていく気にはなれないので、なにか代わりになるものはないかと物色していたのである。

これは本来足踏み用ではないような気がしなくもないのだが、凸がないほうを上にすれば足裏にフィットするし、凸があるほうを上にすればかなり痛い刺激にもなるといった具合で、片足ごとに踏まなければならないことを除けば特に不満がない。デザインも気が効いている。おすすめ。

ちなみに同じシリーズで違うデザインのものもあるのだが、この円形のやつが一番持ち運びしやすいと思う。やや傷が付きやすいのが難点ですかねえ。

 

民主主義のその先へ(2)

Against Democracy

前回の話の続き。

民主主義においては有権者が意志決定を行うわけだが、その肝心の有権者が有する政治的知識は非常に乏しく、まあそんなことは大昔から皆うすうす気づいていたわけだが、最近の米国ではそれがデータで実証されてしまった、というのが先の話の結論の一つである。また、有権者の知識が乏しいのは必ずしも知的能力が低いからということではなく、合理的と言うか常識的に考えれば、何の得もないのにわざわざ面倒な思いをして政治のことなんか勉強しないよね、というのが「合理的無知」の概念であった。有権者が政治に無知や無関心なのは民主主義のバグではなく仕様、ということだ。

ところで、著者のブレナンが有権者をホビット、フーリガン、バルカンに大別するとき、バルカンは基本的に存在しないものと考えられている。バルカンは想像の産物であって、この世にはホビットとフーリガンしかいない。しかも、政治的に影響力があるのはフーリガンのみなのである。

ホビットはともかく、なぜ我々はバルカンではなくフーリガンになってしまうのか。それは、そもそも人間の精神の働きに「くせ」のようなものがあるからだ、というのがブレナンの主張だ。それを実験や調査で裏付けてきたのが、カーネマンセイラーらの本でポピュラーになった行動経済学や認知心理学である。確証バイアス(先入観と合う都合の良い情報を受け入れがち)、逆確証バイアス(先入観と衝突する都合の悪い情報は受け入れにくい)、動機づけられた推論(信念と合うような結論を導きがち)、内集団バイアス(グループの「内」には甘く「外」を敵視しがち)、可用性バイアス(思い浮かべやすいことほど重視しがち)、事前態度効果(その問題を重視する人ほど極論に走りがち)、あるいは同調圧力や権威への迎合といった、今では広く知られるようになったコンセプトを用いて、ブレナンは我々人間が本来的に非合理であって、客観的で冷静な、ある意味で「非人間的な」バルカンにはなり得ないことを説明しようとする。そして、インターネットによる情報流通やコミュニケーションの容易化は、フーリガンのフーリガンたる由縁をさらに悪化させる方向に働いてしまう。何せ、自分の気に入る情報だけがいくらでも手に入るのだから。

さて、民主主義には、政治参加と議論によって有権者の意志決定の質を上げ、さらにそうしたプロセスを通じて有権者自身をも向上させうるというロマンティックな「夢」があった。しかし、我々がどうしようもなくフーリガンであるならば、こうした夢の前提は崩れてしまうことになる。例えば政治参加に関して、ブレナンは政治学者サラ・バーチ(Sarah Birch)の研究(Full participation: A Comparative Study of Compulsory Voting)を引き、義務投票制(compulsory voting)の国とそうでない国を比較したときに、義務投票制が有権者の政治的知識を向上させるという証拠もなければ、有権者の政治活動がより活発になるという証拠もないことを示す。日本でも投票率を上げるということが自己目的化しているが、政治参加するからといって、それによって有権者の質が高まるというわけではないのである。

そしてブレナンがやり玉に挙げるのが、日本でもポピュラーな熟議民主主義だ。忌憚の無い議論によって有権者の相互理解が進み、それによって意志決定の質が向上する、というのが熟議民主主義の理想だが、ブレナン流に言えば、バルカン同士、あるいはバルカンとホビットなら熟議は成立するものの、フーリガン同士、あるいはフーリガンとホビットでは成立しない。よって、この世界の多くの場合において熟議民主主義は機能しないのである。理論的には、フーリガンは様々なバイアスにより自分の信念とぶつかる意見を受け入れないから、というのが理由だが、ブレナンは政治学者タリ・メンデルバーグ(Tali Mendelberg)の熟議民主主義研究に関するサーベイを基に事例や実験の結果を検討し、実証的にも、熟議民主主義がもたらすメリットは存在しないか、極めて少ないと結論づけている。現実の熟議は、極論同士のぶつかり合い(政治学者キャス・サンスティーンの言う「集団極性化」)か、感情論の応酬か、声高な一部による議論の支配や誘導か、あるいはコンセンサスに至れそうな当たり障りのないテーマに終始するか、そのあたりに落ち着いてしまうのだった。さらにブレナンは一歩踏み込んで、そもそも政治参加や熟議のせいでフーリガンたる有権者の分断や対立が一層進むのだから、政治参加は有害だ、とまで言い切るのである。私は疑り深い人間なので、ブレナンもフーリガンなのだし自分に都合の良い論拠をチェリーピックしているのではないかと思って熟議民主主義に関する文献をいくつかぱらぱら読んでみたのだが、熟議民主主義の困難というタイトルの本が出ているくらいで、それなりに工夫はあるもののブレナンの主張を全否定するというところまではいかないらしい。

ちなみにブレナンは、有権者の多くがフーリガンで認知に偏りがある、ということを前提にすると、コンドルセの陪審定理やホン=ペイジの「多様性が能力に勝る」定理といった、計量政治学の分野で有名な、必ずしも知識や能力がある人間で集団が構成されていなくても、多数決が適切な結果をもたらすことを保証する定理のいくつかが成立しなくなる、という議論も展開している(第7章)。この章でもう一つ面白いのは政治学者マーティン・ギレンズ(Martin Gilens)の研究の紹介で、これまでの米政権の政策は富裕層の選好と付合するということが分かっているそうだ。すなわち、個々の政策に関して、低所得層、中所得層、高所得層、それぞれに支持や不支持があるわけだが、結局のところ高所得層の意向が反映されやすいということである。こう書くと金持ち優遇ではないか、癒着ではないかと批判的に捉える人が多いと思うが、実は、イラク戦争への反対、LGBTQへの寛容、市民的自由の擁護、そして様々な階層への目配りなど、いわゆるリベラルな政策への支持は、所得が上がれば上がるほど高まるということも分かっている。ちなみに、一般的にはネオコンの走狗で金持ちの手先、というイメージが強かったブッシュ(息子)の政権期だけは、低所得層の選好とマッチするのだという。低所得層は、民主党支持であっても実はかなり保守的なのである(これがトランプ大統領誕生につながった)。いずれにせよ、民主主義の本家本元と思われていた米国が、実は金持ちエリートの寡頭支配で、おまけにそれは国民の大多数にとって別に悪いことではなかった、というのはなかなか皮肉で面白い。

まとめると、民主主義は理論的にうまくいきそうにないし、実証的にうまくいっていないし、ではなぜそれが最近までうまくいっているように見えたのかと言えば、実は(少なくともアメリカでは)実質的に民主主義ではなかったから、ということになる。そこで、民主主義がダメというならどうするんだという話になるわけだが、そこでブレナンが持ち出すのがデモクラシーならぬエピストクラシー(epistocracy)というコンセプトだ。元のギリシャ語はエピステーメー+クラティアということで、「知識ある者の支配」という意味になる。すなわち、政治的な権力が、平等ではなく、何らかのかたちで知識の差によって重みづけられる体制がエピストクラシーだ。

この後エピストクラシーの具体的内容の話になるわけだが、切りが良いので続きはまたそのうち。

 

マルマン スケッチブック セクションクロッキーブック S237

マルマン スケッチブック セクションクロッキーブック 白クロッキー紙 10mm方眼罫 S237

A4くらいの広い紙面に(以下略)、とにかくスケッチブックをいたずら描きに使うという発想が、実は最近まで無かったのである。いたずら「描き」といいつつ実際は文字を書くことが多く、絵と言ってもポンチ絵や表程度なので、スケッチ専用ノートであるところのスケッチブックは候補にならなかった。

最近になって、たまたまこの若干マイナーな(といっても建築とかの世界ではポピュラーなのかもしれないが)クロッキー帳のことを知って使ってみたのだが、これは素晴らしいですね。そもそもマルマンのクロッキーというと茶色の表紙とナチュラルな色の無地の中紙が思い浮かぶわけだが、このS237という品番のやつは黒表紙で真っ白な中紙である。で、10mmというか1cmという珍しいサイズの方眼が書いてある。普段は3mm方眼の測量野帳や5mm方眼のノートに慣れているので、1cmというと大分大きく見えるのだが、これはこれでいたずら描きのガイドには十分だ。裏には方眼が書かれていないので、半分は無地としても使える。

表紙はほどよく硬く、リングノートなので360度ひっくり返せば表紙二枚分の下敷となり、立ったままでも十分書ける硬度となる。正直リング綴じは利き手と逆側のページへ書くとき手に当たるのであまり好きではないのだが、このノートはA4判で紙面が大きいのであまり気にならない。横にしても、天地逆にして書いてもいいですしね。

そして何より紙質が素晴らしい。太字の万年筆やローラーボールなど、紙によっては裏に抜けてしまうようなシャバシャバしたインクもまず大丈夫だし、まあ本来の用途がクロッキーだから当たり前だが、鉛筆やシャーペンなど黒鉛系の筆記具の乗りも良い。おまけにサイズと綴じ枚数を考えると、あり得ないくらいに軽い。ランニングコストも数百円と、一冊数千円するくせにちょっと太い万年筆はすぐ裏抜けするそこらの高級ノートとは雲泥の差である。A4の紙ノートはこれでファイナルアンサーというか、もう探さなくてもいいなあ。

 

民主主義のその先へ(1)

Against Democracy

先日のフェイクニュースの話の続き。

米国におけるトランプの当選や英国におけるブレグジット(EU離脱)への賛成が象徴するように、いわゆる先進国でこのところ、民主主義の機能不全が表面化してきた。こう書くと、いやトランプの当選は当然だとかブレグジットの何が悪いんだと言う人もいると思うのだが、私のようなヒラリー・クリントンや米民主党の政策にかなり批判的な人間から見ても、やはりトランプには大統領としての能力が全然無いと思うし、ブレグジットについても、英国が得をすることはほとんど無いというのがコンセンサスだと思う。お世辞にも、賢い選択をしたとは言えない。

トランプやブレグジットは目立つ例だが、ドイツやフランス、イタリアのような他の先進諸国においても、いわゆるポピュリスト(大衆迎合主義者)たちが力を増してきている。米国にしろEUにしろエリートの腐敗というのはあるわけで、反エリートの主張にも一定の意味はあるのだが、総じてこの種のポピュリズム政党は、冷静に考えればつじつまの合わない人気取り政策をぶち上げることが多い。いい加減な主張で離脱キャンペーンをさんざん煽っておいて、投票が終わったあとにあれはウソでしたとあっさり認めた英国のUKIP(独立党)はその最たるものだと思う。しかし、キャンペーン中にも彼らの主張のでたらめさは散々メディアで批判されていたわけで、それでもなお、彼らを選んだのは英国民なのである。昔のヒトラーと同様、完全に民主主義的な意志決定の結果として、変な奴、変な政策が選ばれるということが増えてきている。

このような不合理な結果の、全てでは無いにしろいくつかは、ロシアやら北朝鮮やらの暗躍による、サイバー攻撃やらフェイクニュースやらのプロパガンダによって引き起こされたのだ、という主張もある。確かに、例えばロシアがヒラリー陣営のメールを盗んでばらまいたり、Facebook上でいろいろちょっかいを出していたのは事実らしく(Wikipediaのエントリ)、それはそれで重大な問題なのだが、しかしそれが実際の有権者の投票行動にどこまで影響していたのか、というと、これはまた別の話だ。例えば、トランプに投票した人は高齢者が多かったと言われているが、Facebookユーザの多くを占めているのは若年層で、彼らの多くはヒラリーに投票したのである(Statistaのデータ)。プロパガンダの有無はともかく、その影響の大小を評価するのは極めて難しい。データ・サイエンティスト界(?)のスターとなったFiveThirtyEightのネイト・シルヴァーも、つい最近「非常に難しい」と認めていた。

それはそれとして、多くの有権者がプロパガンダに踊らされたというなら、その理由を考えてみる必要がある。一つは、有権者は本来合理的な判断を下すのに十分な能力を持っていたにも関わらず、巧妙なプロパガンダにうっかりだまされたという見方である。この場合は、先日の話で言えば、ファクト・チェックを徹底するなど、フェイクニュースの供給側を絞れば事態は改善するかもしれない。しかし、もう一つの、より悲観的な見方もある。それは、多くの有権者にはほとんど何の政治的な知識も無く、関心も無く、一方で知識はないのに好みや思い込みとして大きな偏りがあるので、各々の偏りに応じて、自分の見たいものを見て、自分の信じたいものを信じ込み、まことにテキトーに意志決定している、という可能性である。この場合、フェイクニュースはトンマな意志決定の原因ではなく、結果に過ぎないのだ。

後者は、従来だと民主主義批判、大衆批判、あるいはもっとストレートに衆愚批判と言っていいかもしれないが、そう言った文脈でよく語られてきたことで、大昔からよくある話ではある。プラトンの『国家』あたりが嚆矢で、オルテガの『大衆の反逆』やニーチェが代表格だろうか。日本でも、先日亡くなった西部邁など何人か論者がいたように思う。

しかし、今までの民主主義批判は、2つの点で弱いものだった。一つは、論拠の多くが結局のところ論者の主観というか、せいぜい私はこう思いますとかこんなこともありましたというエピソード的なものであって、客観的な説得力に欠けたことである。そしてもう一つは、民主主義への別の具体的選択肢を提示できなかったことだ。まあ、オルタナティヴとしてファシズムや共産主義、あるいは封建主義を唱えた人もいたが、21世紀の今となっては、それほど説得的ではあるまい。

ところが、ここ10年くらい、アメリカのリバタリアン系の若い学者たちが、民主主義批判2.0とでも言うべき著作を多く発表している。邦訳のあるものとしては、原著は2007年に出たブライアン・キャプラン(経済学者)の『選挙の経済学』や、原著2013年のイリヤ・ソミン(法学者)の『民主主義と政治的無知』などがあるが、最近私が読んだこのジェイソン・ブレナン(政治哲学者)による2016年発表の『Against Democracy』が、「反・民主主義論」というタイトルの出落ち感も含めて、読み物として最も読みやすかった。邦訳は出ないかねえ。

これらのどのへんが2.0なのかというと、一つは政治学に経済学、特に公共選択論のノウハウが持ち込まれたということで、これによって、有権者の行動をミクロ経済学的な枠組みで分析できるようになった。もう一つは調査データの分析に基づく議論ということで、人間の政治意識や政治行動に関する調査自体は大昔から世界各地で行われてきたのだが、近年のコンピュータの進歩と相まって、蓄積された膨大なデータを適切に処理できるようになってきたのである。結果として、有権者がどの程度「合理的」なのか、定性的のみならず定量的な話が出来るようになってきたわけだ。

では、こうした最近の計量政治学の研究からどういう結果がもたらされたのかというと、これがあまり元気の出る話ではない。というのは、調査やアンケートにより、少なくとも米国では、データ的に「有権者は本当に何も分かっていない」ということがほぼ立証できてしまった、というのが、この本(および類似の研究)の一つの柱だからである。

選挙期間中にも関わらず、自分の選挙区から出馬している候補の名前を一人も挙げられない、現在議会で多数派を占めているのが共和党なのか民主党なのか分からない、三権分立の三権が何か分からない、自分が「支持」する政党の政策を全く理解していない、ある政策が共和党政権下で推進されたのか民主党政権下で推進されたのか分からず、ブッシュやオバマが実際にはやらなかったことに関してけしからんと思い込んでいる、憲法が大事と言いつつ、そもそも憲法でどのような権利が保障されているかほとんど理解していない、ひどいのになると、社会主義を蛇蝎のごとく嫌っている(とされている)にも関わらず、「From each according to his abilities, to each according to his needs」(能力に応じてではなく、必要に応じて与えられるべきである)という一節が米国憲法に入っていると思い込んでいる(これは本当はマルクスの言葉で共産主義の有名なスローガン)などなど、ブレナンの本の第2章には様々な調査結果の事例が挙げられている。この章のタイトル「Ignorant, Irrational, Misinformed Nationalists」(無知で、非合理的で、誤った知識を持つ民族主義者)というのが、ブレナンらがデータで描き出す米国の有権者像なのだ。日本に関しても、似たような調査をすれば似たような結果が出るのではないかと思う。

問題が有権者の知識不足だけならば、教育を充実させる等の手は打てるかもしれない。しかし、ここ40年、進学率は高まる一方で、図書館やインターネットから低コストでいくらでも知識が手に入るのに、40年前と政治に関するリテラシーのレベルはほとんど変わりがないという調査もある。だからといって、有権者が総じてバカというのも早計だろう。当然有権者(の大多数)がバカなわけではなくて、むしろ「合理的であるがゆえに、政治に関して勉強しない」というほうが、説明として理にかなっている。これが、「合理的無知」(rational ignorance)の考え方である。貿易政策にしろ、エネルギー政策にしろ、きちんと理解するには膨大な量の勉強が必要となるわけだが、勉強して自分の考えを確立したところで、自分の一票が政策に影響を与える可能性は宝くじが当たる確率並みに低い。知識を得るのにかかるコストが期待される利得を大きく上回るので、そもそも苦労して学ぶインセンティヴが無いわけだ。

さらに、大多数が本当にまっさらな無知で、政治に全く関心が無いならば、トンマな意志決定は賛成と反対で大体打ち消し合うはずで、結果として1%だか2%だかの知識がある人がキャスチングボートを握る可能性が高い(「集計の奇跡」と呼ばれる)。しかし実際には、自分にとって合理的な選択よりも、自分の信念やバイアスに適合する選択を重視するという人が多いのである。

ブレナンは、このあたりの事情をなかなかうまい表現で説明している。彼は、有権者をホビット、フーリガン、バルカンの三つに大別する。ホビットはいわゆるノンポリで、有権者の大多数を占めている。政治に対して関心はない。対してフーリガンは、スポーツ・ファン的にある党派やある政策を熱狂的に「応援」していて、ホビットよりは政治知識があるのだが、正確というわけではない。非常に偏った思い込みがあり、理性よりは感情を優先する(数学の成績がよく知的能力が優れていると思われる人ですら、自分の政治的志向と相容れない意見は合理的であっても受け入れないという研究がある)。バルカンはスタートレックに出てくるミスター・スポックのように常に冷静で、偏見に惑わされることなく意志決定が出来る少数派である。で、当然バルカンは(自分がそうだと思い込んでいる人は多いかもしれないが)ほとんどいない。結局実際に熱心に政治参加するのはフーリガンで、それにホビットが煽られるという構図である。また、自分の商売でトンマな意志決定をすると金銭的、社会的に大損害を被るが、先にも述べたように一票の重さは限りなく軽いので、自分の一票が結果に影響を与えるとは考えにくい。このため、選挙における投票はいわば自己表現の手段となってしまう。結果として、誰の得にもならないような変な選択肢が選ばれてしまうということになる。

このへんまではキャプランの本にも書かれていたことで、実はそんなに新味はないのだが、ブレナンの本はこの先で民主主義への(ぼんやりしたものだが)代替案を出しているところがおもしろい。続きはまたそのうち。

 

トトノエ クリップボード A4

トトノエ クリップボード A4 ブラック TCB00A4-BK

A4くらいの広い紙面にさっといたずら描きをするための何か、を模索し続け三十余年になるわけですが、という同じ出だしで先日もエントリを書いたばかりだが、これもその模索の一環である。同じシリーズの、5×3のいわゆる情報カードや名刺サイズのカードを使う小さいバージョンは数年来愛用しているが(3年前にエントリを書いた)、A4版も買ってみた。というか、これも結局コクヨ関係の製品か。

ようするにA4のクリップボードなのだが、紙製なのが珍しい。クリップや四隅ではなく、下にベロのようなものがついていて、ここに紙を挟むようになっている。先日取り上げたHINGEと同じシステムだが、あちらが真似したのかな?裏には予備の紙と名刺(?)を差せるスロットがあるが、ここはやや使いにくい。

この使いにくさと関連するのだが、本当に硬いので、予備の紙は差し込みにくいし、持ち歩くと案外取り回しが悪い。5×3とかの小さなサイズだと気にならないし、むしろ安定して書けるので好ましいのだが、やわな鞄だと鞄のほうが負けて痛みそうである。今は卓上で使っている。ジョッター的なものは、柔らかいと書きにくいし、硬すぎるとかさばるし、なかなか難しいものですね。

 

コクヨ K2 マッハボール

コクヨ なめらか ボールペン K2 マッハボール ノック式 10本入 黒 K2PR-NB207DX10

別にコクヨから金をもらっているわけではないので褒める義理はないのだけれど、最近はなぜかコクヨの文具製品に感心させられることが多い。近頃よく使っているこのボールペンも、よくよく見たらコクヨの製品だった。どこで買ったかすらよく覚えていないのだが…たぶん世界堂?

調べてみると一本税込約75円というウルトラ安物で、基本的には業務用らしいのだが(そのせいかAmazon.co.jpでは10本単位でしか売っていない。といっても755円だけど…)、実に良い書き心地である。低粘度油性ボールペンというと三菱鉛筆のジェットストリーム、パイロットのアクロインキ、ぺんてるのビクーニャが御三家だと思うが、コクヨもマッハインクというのをやっていたのですね。全く知りませんでした。どこかのOEMなんだろうか?ネットを検索してもまるで情報が出てこないのだが、私以外にもこれに感銘を受けた人のブログが出てくるので、まあみんな使うと感心するんでしょう。ほとんど使い捨てのような値段にも関わらずちゃんと替芯も用意されていて、いよいよ感心させられる。

そしてデザインが優れている。まあ値段が値段なので高級感は全く無いわけですが、頭から尻尾まで流れるようなフォルムになっていて、素材ではなく造形一本で勝負というすがすがしさがある。パイロットのジュースアップとかのどんくさい感じと比べると一日の長があると思うのですがいかがでしょう。

 

コクヨ ドローイングマーカー

コクヨ マーカー ドローイングマーカー 固形 蛍光色 5色 KE-SP3-5

別に蛍光ペンと右翼のことばかり考えて人生を過ごしているわけではないのですが、コクヨも去年、新たに蛍光クレヨンというか固形蛍光マーカーを出していたらしい。最近人に教えてもらいました。

ドローイングマーカーと銘打ったシリーズで、どうも半分画材扱いのようなのだが、蛍光イエローや蛍光グリーンはハイライターとして十分使える。書き心地がぬるぬるなのはもちろん、形が四角形なので狙ったところに塗りやすいし、裏抜けもしない。先駆者であるステッドラーのテキストサーファーゲルのように、ぼろぼろダマが残って他を汚すということも少ない。がーんと新しいものを打ち出すイノベーターにはなれないが、ちまちま実用性を上げるのは得意という、日本企業にありがちな話のように思った。この手のものとしては珍しくリフィルが用意されているのも良心的だ。パッケージングも洋風というか、なかなか洒落ている。三菱鉛筆にこういうセンスがあれば…。

 

Parafernalia FALTER 2D

(パラフェルナリア) PARAFERNALIA パラフェルナーリア FALTER 2D ボールペン

イタリアの文具メーカー、パラフェルナリア(Parafernalia)が好きだ。一昨年、ベルリンのバウハウス・アーカイヴを訪れたのだが、ミュージアム・ショップで売られていた文具は、ご当地ドイツのLAMY、このイタリアのパラフェルナリア、そして日本のトンボ・デザイン・コレクションだけだった。昔ながらの日独伊枢軸という訳ですが、実際デザインという見地からすれば、美術館で売るならこの3ブランドでしょうね。LAMYと同様、社外のデザイナーと共同で製品開発しているようだが、それでもLAMYとTOMBOWは大手だからか、実用性に一定の配慮をしてしまいがちなのに対し、パラフェルナリアは完全にデザインだけに振り切っていて、はっきり言って使い勝手は悪い。それもまあ、ブランドの個性ということでしょう。日本だと、実店舗で扱っているところはほぼ無いと思うが、ネット通販ならそれなりに手に入る。

【PARAFERNALIA パラフェルナリア】 Revolution シャープペン オレンジ

1968年に設立されたパラフェルナリアの製品で一番有名なのは、1978年に発表された異様な構造を持つペンのRevolutionだと思うが、自分で一枚板から組み立てろというこのFALTER 2Dも相当頭がおかしい。見た目の優美さは素晴らしく、クリップとノック機構(のようなもの)もあり、スタンドとなぜか定規まで付いてくるという大変なお買い得品なのだが、単純な割になかなか組み立ては難物で、しかも書くといろいろなところが指に当たって痛い。でも、やるんだよ。リフィルはパーカータイプなので、最近出たジェットストリームを使えば、書き味だけは良くなります…。

組み立て方の動画。いや、たぶんこんなにスムーズに行かないよ…。