My Human Gets Me Blues

Syndicate RSS Syndicate LIRS

2003|02|03|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|05|06|07|09|10|11|12|
2006|02|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|08|09|10|
2010|05|06|
2011|04|05|09|10|12|
2012|01|10|12|
2015|08|

2012-01-20 [長年日記]

_ [Jazz] Vintage 1950s Broadcasts From Los Angels / The Johnny Otis Show

Vintage 1950s Broadcasts from Los Angeles(Johnny Show Otis)

ジョニー・オーティスが亡くなったらしい(朝日新聞の記事)。享年90歳。

イオニス・アレクサンドレス・ヴェリオテスという本名からも明らかのように、この人は実は黒人ではなくギリシャ系移民の子なのだが、子供のころからとにかく黒人音楽が好きで、黒人のように暮らし、黒人ぽく聞こえるという理由でわざわざオーティスに改名したという剛の者である。駐米トルコ大使の子なのにブラック・ミュージックにはまってしまったアトランティック・レーベルの創始者、アーティガン兄弟と同じパターンだ。米西海岸の音楽というと、ウェストコースト・ジャズやサーフ・ミュージックの印象が強いので白人的という感じがするかもしれないが、実は真っ黒なR&Bも盛んで、1940年代から50年代にかけては黒人のホンカーも多く活躍していた。このへんの事情はHonk! Honk! Honk!というその名の通りホンカーばっかりの夢のようなコンピを聞くとよく分かる。

オーティスは本来ドラマー兼ヴァイブ奏者なのだが、下手というわけではないにせよ、それほどのものでもない。歌も歌うが、これまた大したものではない。演奏者としてはぱっとしない代わり、彼はバンド・リーダーとしての才能には恵まれていて、ロサンジェルスを拠点にビッグバンドのジョニー・オーティス・ショウを率いて長年人気を維持した。人材の発掘や育成にも独特の眼力があり、歌手のリトル・エスタ―・フィリップスやコースターズの面々、ジェームス・ブラウンのサウンドの要となったギタリストのジミー・ノーレン、夭折したジャズの名ベーシスト、カーティス・カウンスや、先日触れたビッグ・ジェイ・マクニーリーといったあたりがオーティスのバンド出身である。また、ラジオDJとしても往時は大変な人気があり、一週間に6日、それも夜の6時から9時というゴールデン・タイムに3時間番組を持っていたほどだという。この手の番組を愛聴していた一人が他ならぬフランク・ザッパで、マザーズのデビュー作Freak Out!には影響された人物の一人としてオーティスが挙げられており、自作にもオーティス一家のドン・シュガーケイン・ハリスや、オーティスの息子であるギタリスト/ベーシストのシュギー・オーティスを起用するなどしている。ザッパの口ひげも、元はといえばオーティスの真似だったらしい。

というわけで、このCDは人気絶頂時のオーティスの、ラジオやらテレビやらの番組の録音をそのまま収録したものである。音質はややムラがあるものの、大体は良好と言える。番組なので、オーティス・ショウの演奏だけではなく、他のアーティストの録音や番組ジングル、スリム・ゲイラードとの小芝居、はては広告さえも出てくるので、そのへんは聞く人を選ぶと思うが、50年代にタイムスリップしてラジオを聴いていると思えば良いだろう。もちろん当たり曲の「ハーレム・ノクターン」や「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」も出てくる。まあ、後者に関しては、実のところ個人的にはオーティスのオリジナルよりキング・ビスケット・ボーイのかみつくようなカバー(King Biscuit Boyに収録)のほうが好きなのだが…。