My Human Gets Me Blues

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2007-11-08 [長年日記]

_ [GNU] LinuxコンソーシアムDayでしゃべります

11月22日のLinuxコンソーシアムDayとか言うものに呼んでいただいた。お題は例によってGPLv3である。岡村さんの有益な話と私の漫談が聞きたい人はどうぞお越しください。

_ [Music] Sounds From Rikers Island / Elmo Hope

SOUNDS FROM RIKERS ISLAND(ELMO HOPE ENSEMBLE)

エルモ・ホープも、なんというか、ツイていないとしか形容しようがない人生を送った人だった。バド・パウエルの幼馴染でピアノ練習友達、才能もまんざら劣っていたとは私は思わないのだが、ビバップが隆盛を極めてパウエルが脚光を浴びていたころにはR&Bバンドでドサ回り、ようやくニューヨークに戻ってきたと思ったら薬物問題でキャバレー・カードを没収されてクラブに出演できなくなり、仕事を求めて1957年にはロサンジェルスに流れて行ったものの、ウェストコースト・ジャズの人気が一段落した後の西海岸で、フリーランスの、それも黒人ジャズマンとして暮らすのが困難だったのは想像に難くない。同様の問題でクラブに出演できなかった友人のセロニアス・モンクが、それでもニューヨークにしがみついて成功を掴んだのとは対照的だ。結局1961年にはニューヨークに戻ってくるものの状況はあまり好転せず、1967年に44歳の若さで亡くなるまで、あるいは亡くなった後も、ほとんど評価に恵まれなかった。

これはホープが生前に発表した最後のリーダー作で、ドラッグで捕まってニューヨーク・ライカーズ島の刑務所にお世話になった皆さんによる音楽、という企画のようである。どうやらテナーとベースに適任が見つからなかったようで、当時サン・ラーと一緒にシカゴからニューヨークに出てきたばかりで(少なくともニューヨークで)逮捕経験があるとも思えないジョン・ギルモアとロニー・ボイキンスが入っているが、これはアーケストラの仕事だけでは食えなかった彼らのアルバイトなのでしょうね。ちなみに2曲目のEcstasyは旧作Trio and Quintet(Elmo Hope)ではVaun Ex、5曲目のTrippin'は同じくSo Nice、KevinはPLAYS HIS OWN COMPOSITIONS(ELMO HOPE TRIO/Philly Joe Jones)ではDe-Dahとして演奏されているもので、ロイヤルティの二重取りを目論んだのか全然違う曲名が付けられているが、新曲ではない。とは言え何せドラムがフィリー・ジョー・ジョーンズだし、曲も良いし、Homecoming!(Elmo Hope/Jimmy Heath)以来の三管編成で分厚いアンサンブルが楽しめる佳作だと思います。パーカーと共演経験があるアール・コールマンと、あともう一人マルセル・ダニエルズという知らない人が1曲ずつ入って歌っているのも楽しい。