My Human Gets Me Blues

Syndicate RSS Syndicate LIRS

2003|02|03|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|05|06|07|09|10|11|12|
2006|02|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|08|09|10|
2010|05|06|
2011|04|05|09|10|12|
2012|01|10|12|
2015|08|

2007-06-17

_ [Music] Solo Piano / Phineas Newborn Jr.

Solo Piano(Phineas Newborn Jr)

どんな人にも「売り物」がある。セールスポイント、商売道具であると同時に、その人の存在そのものと深くつながっていることすらあるだろう。だから、例えば速球が売り物だった野球のピッチャーが怪我で速い球を投げられなくなると、これは二重の意味で深刻な事態だと言える。年俸が下がる、解雇される、食っていけないということもさることながら、自らのアイデンティティ自体が揺らいでしまうことすらあるからだ。

フィニアス・ニューボーン・ジュニアは、その卓抜なテクニックが売り物とされることが多い。アート・テイタムの再来、オスカー・ピーターソンのライバルともてはやされた時期もあった。確かに絶頂期のこの人のテクニックは平均的なハードバップ・ピアニストを圧倒しているし、両手をフルに使った華麗な演奏は他とは別格のスケールの大きさを感じさせる。

私は一時期この人に入れ込んで、彼が遺したほぼ全ての録音を聞いた上でディスコグラフィを作った。その上で私が思うのは、この人の売り物というか本質は、おそらくテクニックとはあまり関係の無い、何か別の部分にあったのではないか、ということだ。単純に指が動くとか動かないという点だけ見れば、絶頂期と比較しても最近の音大出のピアニストのほうが上回っている可能性すらある。しかも70年代以降はアル中や精神病、手の怪我で、往年のテクニックは見る影も無い。ちなみに手の怪我は事故によるものとされることが多いが、本当はバットで殴られて両手指を砕かれたとかいう陰惨な話らしいので、ヤットコで歯を抜かれたチェット・ベイカー同様クスリがらみのごたごたでギャングに商売道具を潰されたというのが真相ではないかと思う。いずれにせよ、テクニックがフィニアスのフィニアスたるゆえんならば、この時点でこの人はおしまいである。

しかし最近私は、彼のキャリアの後半、70年代以降の音源を好んで良く聞くようになった。たとえば75年に録音されたこのアルバムでは、相当調子を戻しているとは言え、冷静かつ客観的に見ればヨレているとしか言いようがない(ピアノも安物っぽい)。しかし、何かしらこちらの心に食い込んでくるものがある。それは単に私が彼のミーハーなファンで点が甘くなっているだけなのかもしれないし、あるいは他の理由があるのかもしれないが、少なくとも、フラック&ハザウェイで有名なWhere is the Loveをここまで濃厚な感情を込めて解釈できるのは、私が知る限りこの人しかいない。晩年のバド・パウエルもそうだが、本当の天才は、表面的なテクニックが失われてようやく本質があらわになるということなのではないかと私は思う。

それはともかく、このアルバムのジャケに書いてある曲名表記はめちゃくちゃです。1曲めはTogether AgainじゃなくてUp Thereだし、7曲めはBouncing With BudじゃなくてOne For Horace(というかWail)だね。もう少しなんとかせいよ。


2008-06-17

_ [Life] デビューしたばかり「副都心線」ダイヤ大幅乱れ

今日(というか昨日)の副都心線は大変なことになっていたようで…。

私は先だっての土曜(ようするに開業の日)の夕方、所用で副都心線に乗って最寄り駅から新宿三丁目まで行ったのだが(前日の「タモリ倶楽部」を見て乗らねばならぬと思った)、驚いたのは全駅でオーバーランしたことだ。一駅二駅くらいなら分かるが、全駅で停止位置を間違えたのである。そのため、駅で止まるたびにバックしないとホームドアが開かないという、なんというか、前代未聞の珍事であった。しかもバックするとどういうわけかガッターンとものすごい衝撃が来る。乗客からは、あまりのことに怒りというよりは失笑が漏れていた。まあ、がんばってほしいものです。

_ [Life] 連続幼女誘拐殺人 宮崎勤死刑囚らの死刑を執行

冤罪の可能性はほとんど無いだろうし(責任能力の問題はあるかもしれないが)、宮崎勤の死刑執行そのものには特に感慨はないのだが、むしろちょっと興味があるのは「ある事件の直後、かつてあった似たような事件の死刑が執行される」という話だ。有名なものとして永山則夫の事例が知られている。

永山の死刑執行については、執行同年(引用者注: 1997年)6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年(当時14歳11ヶ月)であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発が高まる中、未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、その反発を和らげようとしたのではないか、とマスコミは取り上げた。


永山則夫 - Wikipedia

真偽のほどは定かではないが、今回も秋葉原の連続殺傷事件の直後で、オタクがどうしたこうしたという文脈で語られることが多い(私はそれは全然本質ではないと思うが)。仮にそういう理由でかつてのオタクの象徴たる宮崎の順番が繰り上げられたとしたら(宮崎は実のところ死刑確定から2年4カ月しか経っていない)、ずいぶん短絡的な話だとも思う。