The Atlantic誌に「外国語教育の終焉」(The End of Foreign-Language Education)という記事が載っていた。
この記事にもある通り、最近ではAIによって、外国語の文章の翻訳だけではなく、外国語を流暢に話す自分の音声やビデオすら、10ドルもあれば比較的簡単に作ることができる。ようするにディープフェイクだが、試しに作ってみるとなんだか不気味ですらある。自分であって自分でない、確かにシミュラクルだ。
とすると外国語を学ぶモチベーションが落ちるのもやむを得ないところで、記事によれば米国の大学における英語以外の言語コースの総登録者数は、2009年から2021年にかけて29.3%減少したという。オーストラリアでは2021年の高校3年生の8.6%しか外国語を学んでおらず、韓国やニュージーランドでも、外国語学科を閉鎖する大学が相次いでいるそうだ。逆に非英語圏では、若者の英語力が低下しているという。
外国語を学ばなくなると異文化への理解が危うくなる、という説もあるが、個人的にはそれほど心配していない。言語障壁が無くなれば、それだけ「生の」異文化に触れる機会は増えるはずだからだ。どちらかと言えば、問題なのは言語間の格差であろう。英語や中国語、あるいはかろうじて日本語もそうかもしれないが、十分学習データがある言語と少数民族の言語のようにデータが乏しい言語の間で、AIが生成する結果のクオリティは相当差が出るはずである。とすれば、マイナーな言語学習者の減少はその言語の消滅を早め、ひいては多様性の喪失に拍車を掛けることになりかねない。
さらに懸念されるのは、おそらく人類が今まで経験したことの無い問題――強力な扇動者、いわば「ハーメルンの笛吹き男」に 母語で 晒されるということではないかと思う。
最近X/Twitterで目にした話だが、優れたアニメ声優はその声でアニメのキャラクタに圧倒的な説得力を与えてしまうという。確かに、例えば「攻殻機動隊」の草薙素子の台詞の説得力は、演じた田中敦子の声抜きには考えられないだろう。また私は海外の映画やドラマを好んで見るのだが、やはり吹き替えでは外国人俳優の演技を十全に味わうことはできないと思う。声や容姿は、表現の切り離せない一部なのである。そしてこれも以前何かで読んだのだが、成功した宗教指導者と詐欺師に共通する条件は、「良い声」だと言われている。ついでに言えば、ドナルド・トランプは声質自体は(最近は特に)しゃがれていて大したことはないものの、言葉運びのリズムが卓抜だ。あれに飲み込まれてしまう人が多いのだろう。
その意味で最近懸念されるのは、かつて多くの人々を巻き込み破滅へ導いた「声」が、文字通り蘇ることではないか。例えば最近のWiredの記事によれば、米国の極右がAIを使い、1939年のアドルフ・ヒトラーの演説を彼の声を使って(ドイツ語ではなく) 英語で 再現したという。その動画をSNSでばらまいたところ、見た米国人の中にはヒトラーこそ国のためを思う偉大な人物だと、すっかり魅了された人がいたらしい。
ヒトラーは優秀な軍事指導者ではなかったかもしれないが、史上屈指の魅惑的な「声」を持っていた。ここで言う「声」は単なる声質だけではなく、リズムや視覚的要素、そしてもちろんレトリックも含む総合的なものだ。それが今までは(あくまで目で読むに過ぎない)文章、あるいはドイツ語という制約に閉じ込められていたわけだが、AIによって解放されれば、ヒトラーは新たな聴衆に、彼らの母国語で直接語りかけることが出来るようになるだろう。その影響は桁違いではないかと思う。さらにうまくいけば、ヒトラーの声やパフォーマンスを踏まえ、現代の社会的問題を鋭くえぐるようなヒトラーの「新しい」演説を生成することも不可能ではないはずだ。まさに「帰ってきたヒトラー」の実現である。
翻って思うに、日本は言葉に力がある政治指導者がほとんどいなかった。いわば「免疫」が無いわけで、かつて一世を風靡した扇動者をうまくAIで召喚すれば、手も無くひねられてしまうのではないかという気がしなくもないのである。