Eric のホームページに戻る サイトマップ $Date: 2002/11/18 22:55:38 $

反イディオタリアン宣言の背景

2002年5月以来、私はウェブログのコミュニティで積極的に活動してきまし た。ウェブログを書き始めて5ヶ月経ったころ、9月11日以来ずっとウェブログ・ コミュニティにおける中心的な関心事の一つであった反テロ政策に関するディ ベートのことを耳にし、参加しました。

私はそのディベートにおいて、いくつものテーマやスタンスが繰り返し登 場し、そして伝統的な政治的諸範疇の範囲内に収まらないコンセンサスが浮か び上がっているのに気づいたように思います。特に、何度も登場するテーマの 一つが、伝統的な政治制度や賢人たちが我々を失望させてきたという点だった ことは示唆的でした。

こういったことの全てにおいて象徴的だったのは、「イディオタリアン (idiotarian)」という言葉が創案されたこと、そしてそれがblogの世界におい て急速に普及したということです。この言葉が暗に示す意味は最初から明らか でした。この言葉は、教条主義的な右派と、空理空論ばかりの左派の両方を断 罪していたのです。右派も左派も彼ら自身の偏狭な利害関係や歴史的因習にと らわれていたため、両者ともイスラム原理主義テロリズムの恐るべき脅威を予 想することも、事実が含意するところを把握することもできなかったというこ とが証明されました。

9月11日の余波が、アメリカ合衆国と世界政治の地図に構造的な変化を与え たことは確かなようです。9月11日の事件は、すでに一つの本格的な戦争を始 める動機となりました。おそらくこれはいくつか怒る戦争の最初の一つです。 アメリカ合衆国と西洋の対外政策は必然的に、新帝国主義的な方向へとシフト しつつあります。思想の領域では、左派のポストモダニズムとは残虐行為を擁 護する一形式であるということが暴露されました。右派の孤立主義は、非対称 な交戦状態に対抗するには不十分であることが示されました。そして、テロに 対する防御には国家による戦闘だけで十分であるという考え自体が、9月11日 以前には民兵の正当性が嘲りと共に退けられたであろう場で問われるようになっ たのです。

反イディオタリアン宣言は、私の美文 家と宣伝者としての能力を、対テロ戦争に生かそうという試みです。長年に渡 る、造る者とただ壊すことしかできない者との間の戦いが我々のもとに戻って きたのです。2002年を通じてblogの世界で戦わされた道徳的かつ実際的な議論 を洗練することによって、私は我々の文明内に存在する数多くの気むずかしい 利益集団を出来る限り糾合して、彼らが野蛮との戦いにおいて共通の大義を見 いだし、戦いを誇りに思えるよう助けたいと願っています。

私は自分のウェブログであるArmed and Dangerousに5 つの草稿を投稿し、寄せられた200以上のコメントと電子メールから示唆を得 ました。ここに名前を記すにはあまりにも数が多すぎますが、意見を下さった 方々に感謝します。この運動の中心となったのは私ですが、結果としての宣言 はblogの世界による共同成果と考えるべきだと思います。

しかし、この宣言には、一点だけ私自身の創案が入っています。以前の 「イディオタリアニズム」の諸定義は暗示的で客観的現実に基づいていたので、 読者や聞き手は例からモデルを構築する必要がありました。私が試みたのは、 ある概念が満たす全ての性質を示すことによる内包的な定義の提示です。私は この定義が、将来のディベートの展開において有用であることを願っています。


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Eric S. Raymond <esr@thyrsus.com>

翻訳は八田真行 <mhatta@debian.org> が行った。原文はhttp://www.tuxedo.org/~esr/aim/background.html にある。原著者と訳者の見解は必ずしも一致しないことに留意せよ。