はじめに
最近では、おそらく彼らに批判的な人のほうが多いだろう。剥き出しの傲慢には私も鼻白むことがある。私自身は彼らを全面的には支持しないし、そもそも連中ほど金持ちではないし権力もないのだが、彼らの気持ちはなんとなく分からなくもないのである。それは、この20年くらい、ITの発展を見物してきた人間には共有する感覚のようにも思う。
ということで、連中の思想のようなものを大ざっぱにくくって、「テックブロ的思考」と呼んでみることにした。もちろん人によって微妙に意見は違う。一応彼らの書き物や発言に即したつもりだが、あくまで私ができるだけ辻褄が合うように整理し直して解釈したということなので、文責はすべて私にある。
収穫逓増と収穫逓減

横軸に経過時間、縦軸に経済や技術の成長をとったグラフを思い浮かべてほしい。二つの曲線がある。一つは緩やかに伸びていくが次第に頭打ちになる青い曲線(収穫逓減)、もう一つは最初は緩やかだが次第に加速度的に伸びていく赤い曲線(収穫逓増)だ。前者はしばらく後者を上回るが、そのうち後者が追い抜いて、時間が経てば経つほど引き離していく。「逓」は「次第に」という意味である。
経済学では、逓減曲線は資源の枯渇や市場の飽和など様々な要因で説明される。しかしテックブロは、この成長率の低下を主として無意味な規制の蓄積によるものと解釈する。規制が重なるたびに企業ひいては国家は身動きが取りにくくなり、ロケットスタートを切ったとしてもやがて失速してしまう、というわけだ。
問答無用のイノベーション
「こんなことがあったらどうするんだ」という懸念の多くは、実際には過大評価された想像上のリスクに過ぎない。俗に「石橋を叩いて壊す」というが、過剰な慎重さはかえって機会を逃すことになる。しかも、リスクを解決する能力ではなく、リスクを思いつく能力に長けた人々が決定権を握っていることが多いのである。
ティエラーは、「予防原則」が「許可なきイノベーション」を凌駕するならば、その結果、サービスの低下、低品質の商品、物価の上昇、経済成長の低下、全体的な生活水準の低下が起こると論じている。「許可なきイノベーション」こそが、近年のインターネットや現代のハイテク経済の成功に拍車をかけてきたと主張するのである。
政治をハックする
実際、「わかってない」政治家や役人への敵意は長年かけて醸成されてきた。私自身も、正直に言えば(例えば表現規制や暗号通信規制などの文脈で)どう考えても無意味で市民の自由を損なうような規制をやろうとする政府に腹を立てることもある。この種の議論は、知的財産権(著作権やソフトウェア特許)の問題でもくすぶりつづけてきた。ボルドリン&レヴィンの『反知的独占』などもそうだ。全体に、経済学は規制を好まないのである。そういう意味でこうした気分は、おそらく思った以上に幅広く多くの人間に共有されていると思う。テックブロたちの苛立ちには、一定の正当性がある。
歴史の教訓――ソ連、日本、そして中国
ダン・ワンの『Breakneck』(2025年)は、この対立を興味深い角度から分析している(yomoyomoさんの紹介)。ワンによれば、中国は「エンジニア国家」であり、問題に対して物理的にも社会的にも工学的発想で臨む。対照的に今の米国は「弁護士国家」であり、良いことも悪いことも含めてあらゆることを法律で阻止する。中国の指導者の多くは工学系の学位を持っている。胡錦濤は水力エンジニアで、温家宝は地質学を専攻した。米国でも、かつてはフーヴァーダムで知られるフーヴァー大統領のように工学出身の指導者がいたが、1980年から2024年まで、大統領候補はほぼ全員がロースクール出身だったのである。
テックブロたちにとって、この対比は深刻な警告である。弁護士は遵法性やリスク回避を重視するが、成長に責任を持たない。エンジニアは素早く大規模に物事を進め、進んでリスクを取る。ゆえに、このまま規制でがんじがらめにしていては、中国に追い抜かれるという恐怖があるのである。