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ラジカル・オネスティとクロッカーのルール

Radical Honesty: How to Transform Your Life by Telling the Truth

先日ロージナ茶会の新年会でラジカル・オネスティの話をしたら誰も知らなかったので驚いた。変人および変人を装う平凡な人間しかいない茶会員が同じような変人組織のことを知らないのはあるまじき失態だと思った。英語ならWikipediaの項目もあるのに。というかポッドキャストで取り上げたことすらあったのに。

といっても私も大して知らないのだが、以前HuluLie To Meという海外ドラマを見ていたらこれを実践している(と称する)キャラクタが出てきて、大変うざかったので興味を持ったのである。ちなみにこのイーライというキャラクタは、ドラマが進展するに従ってだんだんまともでつまんない奴になっていってしまったのだが。

ラジカル・オネスティというのは、ブラッド・ブラントンという心理学者が始めた運動らしい。その教義(?)は単純で、ようするに嘘は良くないということである。過激に正直(オネスティ)でなければならない。英語でwhite lie、罪のない嘘という言い方をするが、我々は相手の気持ちを傷つけたくないのでついお世辞やおべっかをつかってしまう。しかしこれが罠で、これをやっている間はいつまで経っても真の意味で他人とコミュニケートすることはできない。いわばA.T.フィールドを突破できないのである。そこで、たとえば嫁さんや彼女に「最近わたし太った?」と聞かれたとき、実際太っていた場合には「うん、太ったね」と正直に答えなければならない。このポリシーを採用すると短期的には相当な軋轢が生じることが容易に予想されるわけだが(ひっぱたかれる、離婚を申し出られるなど)、貫徹されれば裏表の無い、真の信頼に基づいた親密な関係を築くことが期待できる。なお、ラジカル・オネスティは基本的にプライベートな人間関係において適用されるルールである。家に押しかけてきたゲシュタポにユダヤ人はいるかと聞かれたらいませんと言っていいし、ゲームにおいてはブラフをかけても良いわけだ。

むかし日本でもモヒカン族というのがあったが、あれにちょっと似ている。ただしモヒカンもそうだったが、ラジカル・オネスティは、相手を意図的に、あえて罵倒したり嫌がらせをして構わないということではない。事実は事実として率直に淡々と指摘せよ、その結果として相手に腹を立てられても仕方がない、という話である。公式サイトを見るとニューエイジ的というかカルト臭い感じがするし、どことなく怪しげなのだが、基本的には正しいことを言っていると私は思う。

まあ、人間は太陽も死も直視できないし、真実を扱うこともできない弱い生き物ではある。私も出来るだけ正直にと心がけてはいるものの、ラジカル・オネスティは実践していない。私自身が昔から採用しているのはクロッカーのルールである。言い出したのはMediaWikiの原作者リー・ダニエル・クロッカーで、いわばラジカル・オネスティの逆バージョンと言える。他の人が、あなたに対して過激に正直であることを認めるというルールである。大して長くないのでそのまま訳出しておこう。

自分が「クロッカーのルール」に従っていると宣言することにより、あなたは他の人があなたに対するメッセージを、あなたにとって快いかどうかではなく、情報量の面で最適化することを許可することになる。クロッカーのルールに従うということは、あなた自身の心の中で起こることに関して、あなたが全責任を負うことを受け入れるということを意味する。すなわち、何かを不快に感じたら、それはあなたの責任だということである。誰でもあなたを馬鹿呼ばわりし、それをあなたに対して親切を施してやっているのだと主張することができる。(実際、これは本当に親切な行為なのである。我々が暮らす文化が抱える大問題の一つは、他の人が、あなたは間違っていると言うのを恐れて黙ってしまうか、その場を取り繕わなければならないと考えてしまうことなのだ)。二人の人物がクロッカーのルールを採用した場合、言い換えたり社会的な体裁を整えたりする必要がなくなるため、全ての必要な情報を最小の時間で伝達することが可能になるはずである。もちろん、必要とされる精神的な自制を備えていない限り、あなたはクロッカーのルールに従っていると宣言すべきではない。

クロッカーのルールは、あなたが他人を侮辱してよいということを意味「しない」ことに留意せよ。クロッカーのルールは、他人があなたを侮辱することを恐れる必要がないということである。クロッカーのルールは自らに課す規律であり、特権ではない。加えて、クロッカーのルールを採用するということは、必ずしも相互利益の追求を意味しない。そんなわけないでしょ?クロッカーのルールは、あなたが自分の得られる情報を最大にするのを狙って行うことであり、歯を食いしばって我慢してでも他人に施してやるという性質のものではない。

「クロッカーのルール」はリー・ダニエル・クロッカーにちなんで名付けられた。

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