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グローバル人材?

グローバル人材「無理」…高校・大学生の半数超 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

最近「グローバル人材」という言葉を耳にすることが多く、さらには大学で育てろとかいう話にもなって当方にまで延焼しつつあるのだが、どうも良く分からない言葉というか概念ではある。国際的な産業競争力の向上や国と国の絆の強化の基盤として、グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる「人財」ということらしいのだが。そもそも「人財」という言葉が個人的に今一つ気にくわないという話もある。

まあそれはともかく、お前別に挑戦も活躍もしてねえだろと言われると返す言葉がないのだが、ここ15年くらい趣味も仕事も海外の人や組織と一緒にやることが多い身としては、不肖わたくしも一応グローバルな人材ではあるんだろうと思うわけですよ。その私の経験からすると、グローバル人材は育てるものというよりは、何かやりたいことがまずあって、そのための必要に迫られて勝手になるもんじゃないだろうか。語学にしても、その言語がどうしても必要であるという状況に追い込まれないとなかなか身につかないし、また追い込まれれば、いやでも身につくもののような気がする。大体、満足に英語が出来ない「グローバル人材」は私も含めていくらもいると思うんですが。ついでに言えば、英語は流ちょうなのにやってることはまるでグローバル・スタンダードに達していない人もいるよね。

となると、最後に残る問題は「やりたいことがない」ということになるのだろうが、裏を返せば、とりたててやりたいことがない人は、別に「グローバル人材」にならなくてもよいのではないか。きちんと地域社会を回すためのローカル人材だって重要だ。あと、なぜかこういうときの「グローバル人材」は知的労働が暗黙の前提になっているのだが、アフリカかどこかへ行って鉱山かなにかで肉体労働やるのももちろん「グローバル人材」だと思う。

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