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ツイッター処世術

blue and white heart illustration

ツイッター仕事術 (日本語) 単行本 – 2010/2/19

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水野靖久復興庁参事官の暴言Twitter、別の視点での報道を求める声

復興庁の官僚がアレなツイートをしていたのがばれて更迭、という話。同情する人もいるようだし、実際同情すべき点が必ずしも無いわけではないが、官僚というのは一応パブリックに仕える公の職なわけで、社会的地位も高いのだし、発言にはそれなりの品位や(少なくとも建前としての)中立性が強く求められると思う。なので、しょうがないですな。

ところで、この人は(ある時点から)匿名でTwitterをやっていて、それでばれないと思っていたようだ。私自身は、基本的に匿名でのオンライン・コミュニケーションはしないことにしていて、どこででも全て実名である。それはモラルの問題ではなくて、自衛の問題だと思っている。

将棋やチェスでも、大差で優勢だと逆に油断してとんでもない悪手を指してしまう、ということがあるが、それと同じで、匿名の隠れ蓑に隠れるというのは必ずしもメリットだけではない。そもそも、インターネット上において完全に匿名で活動するのは、技術的に不可能ではないにせよ、かなり難しい。それなりに対策を講じて匿名性を高めたとしても、書いている内容はもとより、行動パターンやら何やらから特定されてしまうのは大いにあり得ることだ。そして匿名のつもりが全然匿名ではなかった、というのは、なまじ油断しているだけに、それこそ今回の事件のように致命傷となるだろう。ならば、実名で明示的にリスクを負ったほうが、常に注意深く行動せざるを得なくなるので、結果として身を守ることにつながる。

そもそも、当人の目の前で言えないことをインターネットで書くのは極めて危険だ。逆に言えば、当人を前にして堂々と言えることなら、別に何を書いてもそんなにひどいことにはならない。これが、散々痛い思いをして学んだ私の結論である。書きたいことがあれば書けばいい。ただし、そのためには、場合によってはそれなりに戦略を練らなければならない。匿名性は、そのために必要な細心さを鈍らせてしまうのである。

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